本文へスキップ
長野県上田市国分

■ほかのサイトとブログ■

 
 
信濃国分寺の今昔を探る  

  信濃国分寺は、上田駅から2キロメートルほど南東にある。中心市街地から外れて農地が混在する住宅地にある。古代の建立当時の場所から北東に移されている。
  近隣には、住宅地と田園が広がり、散策(街歩きやサイクリング)にはもってこいのロケーションだ。

国分寺三重塔

▲春の陽射しを浴びる三重塔▲ ⇒国分寺の三重塔のほかの写真を見る

■信濃国分寺の古い由来■

  上田盆地には千曲川が南東から北西に流れています。川筋の北東側には山岳が迫っているので、千曲川は山裾の扇状地の斜面を侵食して、何段もの河岸段丘をつくってきました。
  信濃国分寺は、その中ほどの河岸段丘にあって、周囲を住宅街や耕地に囲まれています。

  8世紀半ばの天平時代、聖武帝は「国家鎮護」を願って日本各地に国分寺(僧寺と尼寺)を建立しました。
  大和王権の権威を広くいきわたらせるために、地方管区の拠点ごとに国分寺を建てたのです。

  創建当時、中門を備えた長方形の屋根つき回廊のなかに、大きな金堂と講堂があり、その右前には七重塔がある、大がかりなものだったといいます。
  当時の信濃では、桁違いに巨大な堂宇群だったはずです。

◆寺の消滅と再建◆

  その当時の国分寺の寺域は、現在の場所よりも一段低い千曲川に近い段丘にあって、今日の信濃国分寺資料館の周囲一帯でした。かなり広い面積だったといいます。
  しかし、建ててから300年くらいの間に、この地方の戦いや災害によって、すっかり消滅してしまったとか。

  その後、数世紀を経て鎌倉時代から、ほぼ現在の場所に国分寺が再建されていきました。国宝の三重塔は、室町中期に建立されました。
  再建後、毎月8日を縁日として、近郷の人びとが参拝や市に参集するようになって、「八日堂」と呼ばれるようになったとか。

◆…そして今◆

  境内には薬師如来を安置した本堂をはじめ、三重塔、大黒天堂、鐘楼、観音堂、地蔵堂、宝蔵などの堂塔伽藍が立ち並んでいます。
  ことに唐伝来の仏舎利殿を日本風にアレインジした「唐様」「和様」折衷様式の三重塔は、国の重要文化財です。

  毎年1月7・8日に行われる八日堂縁日は盛大で、蘇民将来符とよばれる護符や、ダルマなどの縁起物を買い求める参拝客で賑わいます。
  境内やでは、春には桜や藤、夏には蓮など四季折々の花が楽しめます。

石畳の奥には地蔵堂

千曲川の河岸

上田市の国分近辺を流れる千曲川

天平時代の国分寺

創建時(天平時代)の国分寺の復元模型
(信濃国分寺資料館所蔵)

本堂=薬師堂

本堂は薬師如来を安置した薬師堂でもある

本堂側面

本堂の側面
         

優雅な三重塔

威容というよりも、親しみやすく優雅な塔

大黒天堂

本堂西側の大黒天堂

次の記事を読む

 
上田国分寺とっておき情報

天平時代の信濃国分寺の復元

  • 上田市信濃国分寺資料館所蔵の復元模型です。
  • 驚き! 1200年前にこれほど壮大な建築物群があった。

国分寺裏手の睡蓮の花

  • 7月半ば〜8月半ば頃が見頃。
  • 美しい睡蓮の花。

街歩き絵地図

  • 国分寺界隈の街歩きに役立つ絵地図です。
  • タウンウォッチングにも役立ちます。

近隣 塩田平の絵地図

  • 上田市西部の観光名所をご案内。
  • 街歩きのガイドになります。

上田市街地の絵地図

  • 上田市中心部や市街地の絵地図。
  • 上田城や国分寺へのアクセスがわかる。
信州まちあるき

別所温泉と塩田平

別所温泉と塩田平を特集

木曾路をめぐる旅

妻籠と馬籠を特集

奈良井まちあるき

木曾路・奈良井宿を特集

  • 木曽路、奈良井の歴史散歩
  • 街並み景観見て歩き
  • フォトギャラリー など