上田盆地には千曲川が南東から北西に流れています。川筋の北東側には山岳が迫っているので、千曲川は山裾の扇状地の斜面を侵食して、何段もの河岸段丘をつくってきました。
信濃国分寺は、その中ほどの河岸段丘にあって、周囲を住宅街や耕地に囲まれています。
8世紀半ばの天平時代、聖武帝は「国家鎮護」を願って日本各地に国分寺(僧寺と尼寺)を建立しました。
大和王権の権威を広くいきわたらせるために、地方管区の拠点ごとに国分寺を建てたのです。
創建当時、中門を備えた長方形の屋根つき回廊のなかに、大きな金堂と講堂があり、その右前には七重塔がある、大がかりなものだったといいます。
当時の信濃では、桁違いに巨大な堂宇群だったはずです。
◆寺の消滅と再建◆
その当時の国分寺の寺域は、現在の場所よりも一段低い千曲川に近い段丘にあって、今日の信濃国分寺資料館の周囲一帯でした。かなり広い面積だったといいます。
しかし、建ててから300年くらいの間に、この地方の戦いや災害によって、すっかり消滅してしまったとか。
その後、数世紀を経て鎌倉時代から、ほぼ現在の場所に国分寺が再建されていきました。国宝の三重塔は、室町中期に建立されました。
再建後、毎月8日を縁日として、近郷の人びとが参拝や市に参集するようになって、「八日堂」と呼ばれるようになったとか。
◆…そして今◆
境内には薬師如来を安置した本堂をはじめ、三重塔、大黒天堂、鐘楼、観音堂、地蔵堂、宝蔵などの堂塔伽藍が立ち並んでいます。
ことに唐伝来の仏舎利殿を日本風にアレインジした「唐様」「和様」折衷様式の三重塔は、国の重要文化財です。
毎年1月7・8日に行われる八日堂縁日は盛大で、蘇民将来符とよばれる護符や、ダルマなどの縁起物を買い求める参拝客で賑わいます。
境内やでは、春には桜や藤、夏には蓮など四季折々の花が楽しめます。
石畳の奥には地蔵堂
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