▲住民の手になる桜並木
比叡ノ山は太古には浅い海で、カルシウムを代謝・蓄積する生物群が栄えていたのでしょう。その東麓から南麓には石灰質の堆積岩塊が集積していたようです。
平出の住民は古くから比叡ノ山の麓に石灰岩塊があることを知っていたようです。江戸時代には石灰岩の採掘と焼成を地場産業化していて、人びとは明治時代まで石灰の採掘を続けたようです。
酸性土壌が多い日本では、土壌改良の肥料として石灰粉末や消石灰は希少資源でしたから、昔からそこそこ高値で取引きされました。平出の住民の豊かさと文化水準の高さは、古くから石灰採掘・焼成・販売を地場産業化していたことに最大の理由があるような気がします。
取引で収益を得るだけでなく、遠隔地との交易で広く各地の多様な情報や文化と接触・交流していたはずです。
▲博物館内の土器の展示
さて、博物館には、縄文時代から近代初頭までの土器や什器などの生活用具が時代ごとに展示されています。博物館の背後の山裾に広がる森のなかには歴史公園があって、遊歩道をたどりながら、復元され古墳時代の住居や高床倉庫、古墳群などをめぐることができます。
▲歴史公園は山林のなか
▲遊歩道沿いにはヤマツツジが咲いている
|