では、下ノ諏訪宿を出て和田宿をめざしましょう。
国道142号と重なる旧中山道は、慈雲寺を過ぎて間もなく毒沢温泉を見おろすようになります。北には幾重にも重なる山並みが控えています。
茶屋本陣跡を右に見ながらさらに上ると、大樋橋を渡ると道は東向きに曲がり、道の左に水戸浪士の墓が見えます。1864年に過激な尊王攘夷思想を掲げて反乱を起こした水戸天狗党が、11月20日、この地で幕府が派遣した諏訪高島藩・松本藩の追討部隊と戦闘し、10人ほどが落命したとたされる場所です。
◆西餅茶屋跡から山林の峻路◆
国道をさらに上ると、いよいよ深い山に分け入ることになり、周囲は鬱蒼とした森林です。
やがて道路の左傍らに旧中山道の小径の分岐を示す道標が見えてきます。その小径に踏み込むと、西餅茶屋跡があります。ここは、もともとは街道荷役の人馬が休む立場でしたが、やがて4軒の茶屋ができて、峠を往来する旅人の休憩所となりました。
▲西餅茶屋跡の説明板
ここから先は、旧中山道は谷間と沢筋に沿って深い森のなかを峠の頂上までほぼ直登する山道になります。そのため、曲がりくねる国道をクルマで行くよりも、道のりはずっと短くなります。とはいえ、道は険しくかなり厳しい道行きとなります。
「数時間程度は続く登山」の装備をして歩いてください――とくに靴。たまにクマが出没するらしいので、大きな音が出るものを携行してください。しかし、旧街道を遊歩する人たちのために、道沿いの下枝や下草は刈り払われています。
▲谷間を往く急峻な小径
ところで、西餅茶屋を過ぎると、国道は新和田トンネル行きの道路と古い和田峠トンネル行きの道が分岐します。クルマで昔の中山道の雰囲気を味わいたいなら、古い和田峠トンネル方面を選んでください。
ただし、古いトンネルは幅が狭く1台分の車線しかないので、クルマは信号機で規制された交互通行です。
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