安楽寺の参道を谷(街の中心部)に向かって降りていくと、まもなく湯川が流れ下る狭い渓谷に出ます。
谷をまたぐ橋を渡ると北向観音の門前商店街です。商店街といっても、ほんの二、三十メートルほどの小路で、こぢんまりした土産物店や食堂などが並んでいます。
小路の奥に石段があって、石段を登ると、北向観音の境内に行き着きます。
観音堂は北向き。つまり北向観音は、狭い谷を挟んで安楽寺や常楽寺と向かい合っていることになります。
北向きの観音堂は非常に珍しいといいます。ほとんどの寺院は南か東を向いているとか。
◆善光寺と向き合う観音堂◆
観音堂の縁起は、ここの観音様が、宇宙(天空)の回転の中心にある北斗星を仰ぎながら、地上にあって北斗星のごとく現世の衆生済度の中心となることを希求したことから、観音様を北向きに安置したお堂を建立したためということです。
そして、南面する(長野)善光寺と向きが南北対になっていることから、「北向観音」と呼ばれるようになったらしいのです。
南北が対になっている由縁は、
善光寺に詣でて「来世利益」を祈願。北向観音に詣でて「現世利益」を祈る、
というふうに、両方で対になるように両方参詣するべきだという発想だとか。
現世利益を尊重するという縁起には、真言宗の強い影響が認められます。
平安期から鎌倉期まで、別所の北向観音を中心にした寺院群では、禅思想も含めて宋代中国の最先端知識を導入しながら、日本で最高水準の仏教・学術・技芸の研究がおこなわれていたようです(信濃の学海)。
ことに、薬効顕著な温泉療法も含めた医学・薬学の水準はきわめて高いものでした。そこで、疾病の治療などの「現世の救済」を求めて、たくさんの専門家や一般民衆が訪れたようです。
当然のことながら、中国から伝来した農業技術や工芸などの先端知識も集積され、日本の地に合わせて研鑽されました。こうして、統治者と民衆の双方に役立つ思想や技術・技能の研究、伝播に役立ったと思われます。
ここでは、仏教研が経済や政治に実利をもたらしたのです。
現世利益の祈願という発想や縁起は、そういうところから来ているのかもしれません。という想像をことさらにかき立てるのは、境内の西の崖に建てられている「医王尊瑠璃殿(格式の高い薬師堂)」のゆえでしょうか。
医王尊瑠璃殿は、まさに真言宗に由来する「現世利益」思想の歴史的象徴、記念碑だと思われます。
◆雄大な眺望とカツラの老大樹◆
ところで、北に張り出したなだらかな尾根高台にある北向観音の境内からの眺めはすばらしいものです。別所温泉街はもちろんのこと、東に塩田平、上田盆地が一望できます。
4月末、盆地の彼方には、雪をかぶった烏帽子岳、湯の丸高原が見えました。
境内には、名物、樹齢1200年余のカツラの老大樹があります【写真上】。 |