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長野県塩尻市贄川〜
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木曽路の歴史 細目次
中山道と木曾路
木曾路の歴史
木曽路の歴史探訪
@宿駅制度
A問屋場と人馬会所
B軍政上の制度としての宿駅
 
 
木曾路の歴史と地理

鳥居峠:ヒノキにネズコやサワラ、アスナロなどが混じった森林▲

  戦国時代には、相争う戦国大名たちが城砦や陣地の建設のために、土木建築材として各地の森林を好き勝手に伐採した。そのため、森林は荒廃したという。
  木曾の森林もすっかり荒れ果てた。
  天下を取った徳川家では、大名たちの軍事力を抑え削ぐために森林の伐採を厳しく統制した。そこに治山治水(森林保護)の役割も加わった。
  幕府から木曾一帯の領地を引き継いだ尾張徳川家は、森林回復のために木曾の山林を厳格に統制した。そして、ヒノキを中心とする木曾の豊かな森林植生は急速に回復したという。

■木曾路の歴史■

  中山道・木曾路は古くから、本州の中央部で東西南北を結ぶ交通の要衝であったうえに、林産資源の宝庫だった。
  とりわけ木材は、戦時にあっては砦の構築や築城などの軍事施設の建設にとって決定的に重要な資源だった。

  そのため、この地方一帯を支配することは、交通の要衝とともに林産資源の流通経路を掌握し、軍事的優越を確保するうえで不可欠だった。

  1590(天正11)年に天下を平定した豊臣秀吉は、木曾一帯を直轄支配した。
 1600年(慶長5年)、関が原の戦いに勝利した徳川家康もまた木曾を直轄領とした。この年、福島を本拠とする土豪、山村家が、徳川家康から木曾代官に任命され、木曾一帯を統治することになった。

  木曽路の各宿駅の問屋や本陣などの宿役たちは、街道交通をめぐって尾張藩や幕府と折衝する場合には、村山代官をつうじて願い出た。

  やがて幕藩体制が固まると、この地方は尾張藩徳川家の所領に組み入れられた。山村家も尾張藩に服属することになった。
  尾張藩は、木曾の森林を厳格に管理統制し、藩の事業として計画的な植林と伐採・販売を組織した。その結果、木曾一帯の森林は回復し、藩の税制収入も飛躍的に増大したという。

 
藪原宿
木祖村薮原宿: 林産業が盛んだ
杣道の風景
往時を髣髴とさせる杉並木
森の道
豊かな雑木林もある

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