◆宿場に隣接する豊かな農村◆
それでは、国道を渡って鍛冶足地区から高札場跡(上町入り口)辺りまで歩いてみましょう。
中山道の和田宿が建設されるよりもはるか以前から、街道となった道沿いに農村集落が形成されていたため、鍛冶足にも上町にも桝形はありません。しかし、鍛冶足地区の南端近くに願応寺と社宮司神社への参道を兼ねた古い道があり、この道は街道に再び合流するまでに急坂を登り一度直角に曲がるので、緊急時にはこの道を通行させる計画だったのかもしれません。
さて、鍛冶足を歩くと、この辺りの集落が、江戸時代には和田宿の旅客商業や物流と結びついて成長したことが窺えます。ここかしこに旧中山道沿いの集落だった様子をとどめていて、民家の構えを見ると、「高度経済成長」の前まではここが豊かな農村だったように見受けられます。
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▲出梁(出桁)造りの民家▼
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▲アングルを変えて観ると・・・
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▲簡略な薬医門がある。道を拡幅する前は、もっと立派な薬医門だったのではなかろうか。
◆懐旧を呼ぶ家並み◆
街道沿いには、出梁(出桁)造りの家屋がいくつかあります。屋根は今風に瓦に葺き替えてありますが、往時を想起させるに十分な佇まいです。
住宅敷地の区画は、往時の集落の家並をかなり残しているようです。大出地区は農村集落ですが、家の並びは古典的な街並みに近く、その意味では、旧街道筋ということが、家屋の配置など集落の形状に大きな影響をおよぼしてきたようです。
街道の道幅は拡幅されてきたので、通りに面した各戸の庭は往時よりも少し窮屈になっているのかもしれませんが、それでも豊かさと余裕を感じさせます。
◆消えゆく景観を惜しむ◆
とはいえ、沿道には放置され朽ち果てようとしている家屋もいくつかあります。無住になり、廃屋となったのかもしれません。壊れてしまえば再建に途方もない費用がかかります。街道の歴史を物語る文化財として、このままで保存できないものかと嘆息するしかありません【下の写真2枚】。
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▲伝統建築と大正モダンが折衷されている造り
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▲廃屋だがこのまま維持したい家屋
◆旧街道めぐりの楽しみ◆
私は、背後に山尾根を背負っているため、緩やかに屈曲したり上下したりしてるこの道形がことのほか気に入っています。尾根丘陵が道と集落に割り込んできたり、逆に谷のような窪みと沢が横切ったりしてているこの姿が。
力任せに直線化したり、高みを削り凹みを埋め潰す今風の道は、便利で安全ですが、面白味に欠けます。しかも、運転者に速度を落とす謙虚さを失わせます。自然や歴史に対して一歩も二歩も譲る、そういう姿勢で旅をしたいものです。
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▲高札場跡の傍らから上町を眺める |