安楽寺の由緒について史料からたどることができるのは、鎌倉時代の中期(13世紀半ば)だということです。
安楽寺を開山したのは、樵谷惟仙という僧です。惟仙は学僧として宋(当時の中国)に渡って修学し、帰国してから安楽寺を開基したとか。
惟仙にしたがって日本にやって来たのが、宋の禅僧、幼牛恵仁です。
両僧は協力して、当時の最先端の禅宗・仏教の研究や普及に努めたようです。
ふたりの和尚の木製彫像(14世紀前葉の作)がこの寺に残されています。ともに重要文化財です。
また、境内には、江戸時代(18世紀末)に建てられた経蔵もあります。塗り込め方式の蔵で屋根は銅板葺きです。
経蔵のなかには、輪蔵という回転式の書庫・書架があります。断面は八角形で、この輪蔵を回すことで、納められている経典を読了(看経)したのと同じ功徳があるとされています【写真下】。
ところで、八角三重塔の内部には釈迦木像が置かれているということですが、秘蔵仏で実物が公開されることはないようです。。
◆境内の建物群◆
このほか山門の内側の境内には、本堂、庫裏、鐘楼、座禅堂などがあります。
本堂や庫裏、座禅堂は、本来、茅葺き屋根だったと思われます。
しかし、近年、国宝や重要文化財級の建物の屋根葺き用の茅(形状が均一で十分乾燥させたもの)が不足していて、葺き替えには莫大な費用がかかるため、銅葺きに変えたようです。
しかも、茅の乾燥期間が短縮されてきているので、耐用年数が急速に短くなってしまい、その分、葺き替え間隔が狭まっているのです。ますます維持費用がかさみます。
そこで今後、この傾向が加速していくものと考えられています。文化財保護は今、危機(曲がり角)に直面しているのです。
◆庭園・景観渉猟◆
州の山林や植生と調和した参道や境内の庭園景観を愛でるのも、別所の寺院めぐりの楽しみのひとつです。
安楽寺でも隣の常楽寺でも、端正に手入れされた庭園景観を眺めることをおススメします。
池の畔に立って水面や周囲の樹林を眺めて、一時、心を落ち着かせるのもいいかもしれません。
◆八角三重塔の意匠について◆
ところで、八角三重塔は、きわめて稀有で貴重な建物です。
何よりも建築様式=設計構造が独特です。この建築構造のモデルが、上田市立信濃国分寺資料館に所蔵してあります。
それを見ると、建物の設計の仕組みが大変によくわかります。
▲八角三重塔の構造模型 (信濃国分寺資料館所蔵)
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