時の為政者や権力者たちは、宗教の観念や市思想を自らの権威の正当化や拡張のために利用しようとしてきました。それはそれで批判的な歴史的検証が必要でしょうが、私は、錦繡にあいだに定着した信仰や宗教観はそれ自体で尊重すべきものだと考えます。
日本古来の神仏習合の慣習や思想がそのまま具体的な形として現存しているこの神社の境内に立つと、神棚と仏壇をともに拝み、クリスマスを楽しむ日本の文化のファジーさは、それ自体、大切な生活態度、宗教観ではないかと思うのです。
▲主拝殿の奥の本殿:3つ並んでいる
この神社は、明治時代の乱暴な政治=宗教運動による破壊を免れたのですが、そもそも仏教との結びつきのなかで生まれた若一権現を祀る社である限り、神社のアイデンティティを保つためには、それしかなかったのでしょう。この一帯の民衆の生活や信仰からすれば、神仏の分離や廃仏棄釈という排他的・一元論的な発想そのものが、この境内神域に入り込む余地がなかったのでしょう。
伝統的なスタイルを守って激動の荒波を乗り切ったこの一帯の人びとの賢明さと努力に深い敬意をしたいと思います。
とはいえ、社号は若一王子権現から若一地王子神社へと改称され、明治政府の神道思想による神社の序列に組み入れられてしまったようです。
ですが、ここでは主祭神だけでなく、八百万の神々と観音菩薩が並存する独特の調和がもたらされています。
拝殿の奥のヒノキやサワラの樹林のなかには、境内社の木製の社殿や石造りの小さな祠が数えきれないほど並び、あるいは点在しています。
自然環境と社会のあらゆるものに神や仏が宿ると見る汎神論の世界が、この一帯の聖域には広がっています。
▲江戸時代に再建された信州で最も重厚な三重塔
◆樹木の生命力を感じる境内◆
▲古い切り株跡に育った杉
この神社では神域にふさわしく、ヒノキやサワラ、杉などの樹木が長年、大切に守られ育てられてきたことは明らかです。樹高が20メートルを超す老大樹はもとより、樹齢30前後の若い木々も目立ちます。
境内北側(拝殿の裏手)には、ヒノキやサワラの広い樹林があります。そして、背の高い針葉樹が境内全体を取り囲んでいます。遠くからでも鬱蒼たる森が見え、この神社の存在を知ることができます。
境内のあちこちに樹齢300年は超えたであろうような大木の切り株跡が残されています。1000年以上にわたって人びとが境内の樹木を大切に守り育ててきたのです。
上の写真は、直径1.8メートルほどの切り株跡に育った若い杉の根元を写したものです。樹木は代を継いで神域を守っていくのですねえ。
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