▲柳町を振り返る
▲二ノ丸通りと北国間道の交差点。ここから先に古民家が多い
◆ところどころに残る古民家◆
柳町から500メートルほど歩くと、上田城跡の脇に連絡する二ノ丸通りとの交差点にいたります。ここから先にいくつもの旧商家の古民家が残っています。⇒外部サイトの参考資料
上田は明治以降、信州の繊維業の中心都市として目覚ましく成長しました。街並みや建物についても近代化というか欧化がかなり進展していきました。それでも1960年代(昭和30年代)までは、幕末以来の趣きを伝承した建築様式の商家が街道の両側に並んでいたように思います。
そんな歴史を今にとどめているのがたとえば和田龍酒造。この会社は、酒を生み出す酵母菌を保存するために蔵も含めて古い建物をそのまま残しています。柳町の岡崎酒造と武田味噌もやはり醸造用の酵母菌を保持するために古民家を活用し続けています。
宿場街や城下町だったところでは、酒や醤油、味噌、酢などの醸造業者が古民家保存・伝統的な街並み景観づくりにおいて重要な役割を果たしている傾向があるようです。
それにしても、柳町通りからここまで約1キロメートルのあいだに、酒造業者が2軒、味噌醸造業者が1軒と、醸造業者が3軒もあります。北国街道上田宿が、城下町でもあったという事情もあって、いかに繁栄していたかがわかります。ほかにも、大きな構えの商家だったであろう店舗や土蔵があって、往時の街の豊かさを今に伝えています。
▲和田龍酒造の家屋
▲土蔵造り庫裏の商家は無住化しているようだ
ところが、古い和風の建築様式を維持・補修するためには、相当に費用がかかるので、1970年代からしだいに古民家商家は姿を消していきました。
しかし、旧北国街道沿いの街通りは、いわば発展から取り残された形で、古い建築様式の町家が20年ほど前まではかなり残されていました。
おりしもその頃から、街づくりの戦略として古民家が並ぶ街並み景観がきわめて価値の大きな歓呼資源として見直されてるようになりました。とはいえ、大きな費用がかかることとて、修復・復元にも手が回りかねるが、とはいえ、取り壊すには惜しいとして放置されている建物も目立つようになりました。
今はその状況を受けて、修復・復元も緩慢に一方で進みながら、無住になった古民家を何とか残してはいるものの、放置され、荒廃が進むに任せているという拮抗状態ともいえます。
私は、何とかして現存する古民家をこのサイトの記録に保存しておこうともがいています。
▲町の北に太郎山が見える
◆観光資源としての北国街道◆
信州ではことに都市部では、江戸時代の街道の景観や史跡を重要な観光資源として位置づけなおし、街づくり、景観づくりの計画に取り込もうとしている動きがあります。
そういう動きをいち早く始めた中山道はもとより、多くの宿場街の街並みや史跡を持つ北国街道沿いの市町では、横断的な連携も組織化されてきています。
そこで、街道沿いに住宅を新改築するさいには、伝統的な建築様式での設計や外装を推奨し、場合によっては助成金を出しているようです。そういう動きのなかで、この上田市街の北国街道沿いでも、伝統的な和風建築設計腕の新改築が増えてきました。
この傾向があと20年も続き、他方で、古民家の保存や復元が進んでいけば、この街道沿いには調和のとれた――景観コンセプトが統一された――街並みが出現するかもしれません。
私は、そんな時代が来ることを淡い夢として抱いています。
というわけで、このページでは、古民家と並んで、古い街並み景観と調和する新築住宅も掲載しました。
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