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柳町通りには、上田の都市集落が17世紀のはじめ、真田家の城下町として発足した頃から続いている商家の家系があります。
そのなかでも岡崎酒造は1665年創業の老舗で、今でも酒造りの業務を盛んにおこなっています。商品経済に照応した産業としての酒造業は、ある程度まとまった人口の集積がなければ成り立ちません。だから、17世紀の半ばには、上田宿はかなり発達した都邑集落を形成していたはずです。
また、地酒造りに回せるほどに米の余剰が生産されるくらいに、近隣の農業が成長していたことを物語っています。
▲柳町の街並み 蔵造りで「うだつ」を上げた家並みは石畳の路に似合う
柳町を横切る矢出沢川や蛭沢川は、真田家の時代に、城砦の縄張り(防御設計)構想に沿って本来の流れは改造され、城と街集落の防衛のために開削され、整備された河川です。町割りも真田家の防御構想に沿ったものだったでしょう。
北国街道が本格的に創設整備され始めるさいには、街道は真田家によって形づくられ、その後成長した街並みに合わせて道筋がつくられたのではないでしょうか。
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- 戦国時代末、真田家が領主だった時代の上田城の縄張りの復元推定絵図です。
- 江戸時代の真田上の縄張り絵図
- 現在の上田城跡の構造(遺構)の絵図
- これらを比較できます。
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