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長野県木曽郡木祖村
 
  藪原宿は江戸日本橋から出発して35番目の宿駅で、鳥居峠を挟んで奈良井宿の西隣に位置しています。
  木曽川源流部の静けさと穏やかさに満ちた街で、近隣には美しくも雄大な山岳と山里の風景が広がっています。
巻頭写真は、藪原宿本陣跡脇の旧中山道に立って北を望んだもの。
 
藪原宿の歴史と地理  

  江戸時代まで、藪原宿は中仙道で最大の難所、鳥居峠の――京から見て――手前にあったことから荷駄の集積地や交通の要衝となり、峠越えの準備やら休息やらで多くの旅人が逗留した宿場でした。
  この、にぎわいのある宿場街は、木曾地域の豊富な森林資源(木材や漆)が集まるところでしたから、木工も盛んで、とりわけ「お六櫛」や「ネズコ下駄」の名産地でした。


▲街の東側に迫るのは、木曾駒ケ岳から続く稜線で、鳥居峠と神谷峠を結ぶ尾根。

▲藪原宿は木曾川が削り出した深い谷間の底にある。右背景は三沢山。

  ところが、明治以降の変革で日本の輸送・交通体系は大きく構造転換し、いわゆる「経済発展」からは取り残され、今では閑寂な山間の小さな街となっています。
  とはいえ、より多くの貨幣収入を得、工業製品を大量に生産し流通させ消費するという、現代風の生活スタイルが行き詰まり、文明史の曲がり角に立っている今、訪れて自分の足元を見つめ直し、新たな価値観を見出すうえでは、これ以上ない体験ができる街になっています。
  中山道、ことに木曾路を旅する人びと――国内だけでなく海外からの観光客も――が増加しているのは、田園や山岳に囲まれた日本の伝統的な街並みや生活スタイルを見直す機運が徐々に高まってきたからではないでしょうか。私たちは今、古い家並みにことのほか美しさと癒しを見出し始めているのです。

■静けさに満ちた街並み■

◆木曾はすべて山のなか◆


▲藪原南端の街外れにある一里塚。後ろにはSL(木祖村観光協会の隣にある)

▲墓地の脇を通る旧街道。右手の先に藪原宿がある。背景は三沢山。

  現在の藪原宿は、中山道木曾路の観光地としてはごく地味で目立たないところに見えます。のどかな山峡の街です。隣の奈良井宿ほどに多くの観光客が訪れるわけではありません。とはいえ、木曾がどういう地理的・自然環境にあるところかを体感するためには、ぜひ訪ねてほしい場所です。
  中山道・木曾路の歴史や伝統・文化を訪ねウェブサイトで紹介・報告している私としては、「通り一遍の観光」には飽き足らず、木曾路に愛着を抱いて本格的に木曾路を体験したい人たちには大いにおススメしたい場所です。

  藪原の街は木曾川が削り出した南北に細長い谷の底に位置しています。往時の藪原宿の街並みの長さは――高札場から天降社あたりまで――少なくとも500メートル以上700メートルほどはあったと思われますが、「上町」や「中町」、「下町」などというような中山道の宿場町に通例だった街区名は、現在の藪原には表示される形では残っていません。
  それだけ明治以降、厳しい変化を経験したということかもしれません。したがって、旧街道宿場街の痕跡を探して藪原を街歩きするにさいには、旅行者の想像力や推理力、歴史感覚が求められることになります。
  【藪原宿に関する参考情報⇒下の文字列にマウスオン】

⇒藪原宿の街区名についての情報 藪原に関する史料には「上町」「中町」「下町」という街区名が出てきます。本陣跡や「おぎのや」「米屋旅館」がある区域が上町呼ばれていたようです。しかし、中町や下町がどの辺りで、これらの街区の境界がどこかについては不明です。


▲藪原宿高札場跡

◆旧中山道の痕跡を探す◆

  ところで、江戸時代の中山道の道筋跡は、藪原駅の西側辺りから1.5キロメートルほど南西にある獅子岩橋のあいだはまったく途絶えています。痕跡さえ消滅しています。
  おそらく旧中山道の道筋は、獅子岩橋近くから木曾川右岸沿いに北上して、国道19号の藪原交差点の西辺りで木曾川を渡り、藪原一里塚跡(SL)の手前に連絡し、墓地と水田のあいだの細道を北上して藪原宿に入っていたと思われます。
  小径というべき旧街道は、現在では、高札場(朱い郵便ポスト横)の前で新道(今日の街通り)に合流します。ここから本陣跡の先にある跨線歩道橋まで旧街道と新道は重なっています。


▲南を振り返る:旧街道はこの先で右手に入る

▲街道は緩やかに左に曲がる。中央、街並みの背後に藪原神社の杜が見える。

◆街は木曾の山里の趣き◆

  南北に伸びる藪原宿の旧街道沿いには、低いシルエットの家屋が櫛比して空が広く見渡せ、家並みの背後には山岳が迫っています。街には中山道に特有の出梁造りの町家がいくつも残されています。
  街の中ほどでは、北の彼方には家並みのあいだから峠山――山頂下に鳥居峠がある――を、南には神谷峠を望むことができます。街の東側に迫るのは峠山の尾根で、その裾野には藪原神社と極楽寺が並び、西側には三沢山の尾根山腹が迫っています。これらの稜線の標高は1000メートルを超えています。


▲街角のギャラリー

◆歴史と伝統を伝える家並み◆

  藪原名物といえばお六櫛。通りを北に向かって歩いていくと、「お六櫛問屋 篠原商店」という古い看板を立てた土蔵風の出梁造りの町家古民家が目を引きます。
  その古民家は「蔵のギャラリー」という名称の民俗(地場産業)資料館となっています。
  さらにその先には、これまた本格的な町家の宮川漆器店があります。この店舗家屋も工芸資料館となっています。宮川漆器店は奈良井にも平沢にも工房や店舗を構えています。


▲地場野菜や山菜を売る朝市店舗

▲福井シルエットの屋根が続き、空が広い!

  街並みのかなりの部分は現代風の建物に置き換わっていますが、それでもところどころに丁寧に保存された古民家――木曾路に特有の出梁造りの町家――が軒を連ねています。
  そんな街並みのなかに、地元の名所風景の写真を飾った「屋外ギャラリー」やら地場の山菜や野菜を持ち寄って販売している朝市の店があって、山峡の街の趣きを楽しむことができます。―続く―


街の南側には神谷峠の尾根が迫る


旧中山道は水田と墓地のあいだを往く。南から北に向かう、この細い道の先に藪原宿がある。


旧中山道沿いの家並み。
古い出梁造りの町屋が残っている(画面中央)。

藪原の街並みの南端。背後に迫るのは三沢山。


転作研修センターの前。この道路は新道で、旧街道はこの西側を通る細い小路だ。


高札場(左端の郵便ポストの脇)の前。宿場街はこの辺りから始まっていたのだろうか。画像の道路は新道で、旧街道は左手からこの道に合流する。


古い造りの町屋が少し残っている藪原の街並み


中央の峰は峠山で、山頂の西側が鳥居峠


町家跡の空き地。間口が狭く奥行きが深い町割りの敷地であることがよくわかる。

「木曾藪原 お六櫛」の暖簾がゆかしい


出梁造りの白壁土蔵の町家が並ぶ


お六櫛の問屋篠原商店:現在は蔵ギャラリー


蔵ギャラリーは民俗史料館でもある


街並みのあいだに鳥居峠の尾根が見える


宮川漆器店の店舗町屋 嘉永年間の建築


深い奥行きの漆器店の建物 奥は資料館


丁寧に手を加えて保存されている町家


山里の閑寂な街並みを満喫できる


あそこにも、ここにも町家古民家が・・・

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