◆にぎわい広場◆
▲にぎわい広場「笑ん館」は、住民と来訪者が朗らかに交流する場所
▲木造で広い床面積の建物。のんびり、ゆったりできる。
今回の記事では、「藪原宿にぎわい広場 笑ん館」の前から街歩きの続きを報告します。
この施設は旧街道沿い西側にあって、木祖村役場の東側に位置しています。それは、《木曽川源流の里》木祖村の中山道藪原宿の宿場内にみんなでワイワイできる賑わいが生まれる場所を目的として、2014年12月開設されました。地元住民と来訪者の交流場所でもあります。
「笑ん館」のなかにはパン工房や地元特産品展示場、多目的ホール、休憩室などがあります。
◆昔日の名残を探す◆
さらに北に20メートルほど歩くと四つ辻に出会います。ここは、かつては上横水と呼ばれたところで、今でも防火高塀の跡が残っています。
防火高塀は、旧街道に直交するように土塁を築いてその上に石垣で土台を補強した高い塀をつくったものです。高さは二階屋根ほどもあったのでしょうか。幅一間ほどの小路と高塀によって火災時の飛び火類焼を防ごうとしたのでしょう。
▲高塀跡脇を流れる水路の小さな水車
▲広小路の端から極楽寺がある高台を見上げる。ここが崖のような切通しになったのは、明治以降の鉄道建設によるものだろう。
この場所が上横水と呼ばれたのは、東側の尾根中腹から流れ出る清水が街道を横切って流れていて、宿場用水として利用されていたからでしょう。高札場付近にも街道を横切る水路があったそうです。標高の高低で高塀のある方が「上」で、高札場近くの方が「下」となったようです。
◆酒造所、本陣付近から山裾まで◆
さて、防火高塀の先では旧街道の登り傾斜が目立ってきます。いわばここからが鳥居峠に向けて上り坂を往く道となります。
町家が軒を連ねる中山道の姿は、坂道が大変よく似合います。だから、この先の街並み景観は旅情をくすぐるものとなります。
ことに米屋旅館と湯川酒造が旧街道を挟んで向かい合う地点の街並みは、すこぶる心惹かれる風景です。米屋旅館から「木曽おぎのや」などの町家造りをじっくり眺めて楽しみましょう。この辺りでは出梁造りの町家が保存されたり復元されたりしていて、往時の木曾路を彷彿とさせてくれます。
▲藪原宿本陣跡の標柱
「おぎのや」を過ぎて町の北端近くに藪原宿本陣跡があります。今では白い木製の標柱が立っているだけです。通常の宿場であれば、本陣は町の中心部に置かれていたので、その周囲には主だった商家や有力住民の家屋が集まっているのですが、ここは場末という感じです。
往時はこの辺りに町家が集まるように並んでいたのでしょうか。今の様子からはまったく想像できません。あったとしても、鉄道建設で立ち退かされたのでしょう。
▲歩道橋からの眺め。ここで街道は左に折れて山裾斜面をのぼっていった。
▲北の眺め。JR中央線鳥居トンネルから出てきた列車。峠の反対側は奈良井駅。
さて、旧街道はこの先の跨線歩道橋まで麓を往き、そこで山側に折れて峠をのぼることになっていたそうです。鉄道や新道が建設されたことで、地形も街道の道筋や街並みの姿も大きく変わりってしまったようです。
▲飛騨街道の追分(分岐点)の標柱
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