長久保宿は、依田川と大門川との合流点から2.5キロメートルほど下流に位置していますが、そこは、蓼科高原から流れ下ってきた五十鈴川が依田川に注ぎ込地点の手前でもあります。
その一帯は峡谷が出会い、複合的な扇状地からなる高原盆地で、古くは長窪と呼ばれていました。三郎山の麓から武石川と依田川の合流部まで7キロメートルにもおよぶ細長い谷間の窪地です。
長久保宿は長窪盆地の南端にあります。この集落は、南北に流れる依田川の畔から東方にある笠取峠に上る街道沿いにあって、傍らを五十鈴川が流れています。
▲一番古い長久保宿があったと思われる場所。左手は依田川の堤。今は水田地帯となっている。
水量の多い渓流が合流して水量が増すために、長窪郷では頻繁に氾濫などの水害に悩まされてきました。長久保宿も中山道開設当初の街並みが水害にあったために、より上の河岸段丘へと何度か移転しました。
宿場町開設当初、長久保宿は今よりもずっと西にあって河畔に位置していたようです。水害の経験から宿場町は数次にわたって、河畔の低地からより上の河岸段丘へと移動してきたのでしょう。
▲長久保から依田川と大門川との合流地を望む。
右手の谷間の奥に和田宿がある。左の谷間は大門川の峡谷。