▲大鳥居の東にある御神木の大ケヤキの60年前の姿
60年ほど前、落雷による火災で幹の内部は焼けて内壁は黒焦げになっていた。焼けた洞に入るためには、焼け残った分厚い樹皮――高さ1メートル余り――をよじのぼるしかなかった。
その後、この樹皮は崩れ落ちてしまい、今は洞底部がコンクリートで覆われている。
私の朧気な記憶をもとにすると、大ケヤキはあの頃よりも一回り大きくなって、枝もさらに元気に繁っているように思える。直径は40センチメートルも大きくなった。
▲神社参道の入り口の南側から幟柱、大鳥居、社叢を眺める
▲クヌギの巨樹の下で境内社の祭りが催される。樹影と日影が厳かさを深める。
▲社殿東脇から見た境内東端の様子
▲境内南東側の樹木の様子:鬱蒼とした樹々の陰は薄暗い
▲境内東端の大ケヤキは樹齢300以上と見積もられる
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■東福寺神社の社叢の植生■
神社の境内神域の樹木や草などの植物からなる鎮守の杜を「社叢」と呼びます。
東福寺神社の境内神域は、南北に長い長方形をしています。東西の幅が約40メートルで、南北の長さが65〜70メートルで、北東の隅が少し斜めに欠けています。境内神域の面積は、およそ2700平方メートル、830坪ほどの広さです。
叢の樹木の種類と本数を調べたところ、次のような結果になりました。
○ケヤキ 10本
○スギ 31本
○アカマツ 5本
○クヌギ 1本
○ヒノキ 2本
○モミ 1本
○エノキ 1本
○サカキ 3本
■落雷で焼けた大ケヤキ■
そのなかでも目立つご神木を紹介しましょう。
大鳥居の東側に立つ大ケヤキは、60年ほど前に落雷で幹の中心部が焼けてしまいましたが、力強く生き延びてたくさんの枝葉を茂らせています。幹周りは10メートル以上で、樹齢は500〜800年くらいと見積もられます。上田市塩田の名刹、前山寺の参道には樹齢700年くらいのケヤキの巨木がありますが、東福寺神社の大ケヤキの幹周りはそれよりも大きいのです。
もしかしたらこの巨木は、鎌倉時代の中期ないし室町時代から、この辺りの人びとの生活を眺めてきたのかもしれません。信州のなかでも特筆すべき老巨木です。
今は根元がコンクリートで補強されていますが、60年前には地面から1メートル以上の高さまで樹皮が残っていて、子どもたちはそれを乗り越えて洞のなかに入って遊びました。
ほかに樹齢が300年以上と見られるケヤキが少なくとも2本あります。
■1世紀以上生きているクヌギ■
また、社殿の東側にそびえているクヌギの巨木は、樹高が25メートル近くもあり、樹齢は100〜120年ほどと見られています。
針葉樹ではアカマツのうち境内南端の三本は樹齢120年以上と推定されます。スギでは樹齢七〇年以上と見られるものが少なくとも4本あります。
◇縄文時代の植生の名残り◇
縄文時代から鎌倉時代までの信州の盆地や山間部にはケヤキやクヌギ、コナラ、アカマツからなる原生林が広がっていたようです。そういう自然植生のなかで暮らしてきた信州人は、神社を創建するさいに樹勢の良いケヤキやクヌギ、アカマツを保存したり、その子孫を保護育成したり鎮守の杜を守ってきたのです。
■風雪や強い陽射しを防ぐ■
明治以降、ことに昭和期からは、防風林や建材としてスギを植林するようになったので、神社の境内にもスギを植えて、マツとともに常緑の樹林を育成して、寒い冬にも風雪をやわらげる鎮守の杜を育成してきました。
深い樹林は、人びとに真夏の暑さをしのぐ木陰を提供し、境内には涼しい風が吹きわたります。
◇農作業の広場や
子どもたちの遊び場◇
何よりも鎮守の杜は子どもたちの安全な遊びの場になってきました。60ほど年前には境内は草野球の場になったり、陣取り遊びや鬼ごっこの場になったりしていました。近くの農家では、刈った小麦を乾燥させたり、脱穀作業をしたりしました。最近では近くの保育園の野外体験の場として活用されるようになり、秋には幼児たちがドングリや松ボックリを拾って楽しんでいます。
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