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長野県長野市
篠ノ井東福寺
 
  東福寺は善光寺平南部にあって千曲川の左岸(北岸)に位置する集落群です。平安時代に営まれた豪族の城館を中心とした集落群や大きな寺院、神社などの遺跡があります。埋蔵文化財の発掘調査で古代の遺構が探査された場所は、現在、冬季オリンピックの会場となった南長野運動公園のなかにあります。
巻頭写真は、桃の花咲く田園地帯にある長野南運動公園。ここに南宮遺跡がある。
 
東福寺の歴史と地理  

  東福寺は善光寺平南部にあって千曲川の(左岸)北岸に位置する集落群です。平安時代(9世紀)から豪族の城館を中心とした集落群や大きな寺院、神社などが営まれていました。埋蔵文化財の発掘調査で古代の遺構「南宮遺跡」が探査された場所は、現在、冬季オリンピックの会場となった南長野運動公園のなかにあります。


南長野運動公園: ここの地下には広大な南宮遺跡が眠っている▲

  ここには、およそ1200年ほど前から人びとの暮らす大規模な集落が形成され、当時としては飛び抜けて有力な豪族が統治し祭事を営み、農耕はもとより、鉄器や土器、祭祀の道具、麻織物などの生産を指揮・組織していたすぐれて都市的な集落が存在したものと見られます。

  しかし、古代の遺構は12世紀を迎えようとする頃までに、なにゆえか忽然と姿を消してしまったようです。城館や工房、神社、寺院などを含むこの集落群が千曲川の氾濫原のなかに位置したからでしょうか。というのも、千曲川水系の歴史的変遷を考えると、蛇行を繰り返しながら基本的に北東方向に流れ下る千曲川本流の北側の畔にある東福寺は、膨大な水がつくる攻撃力・破壊力が直接におよぶ場所にあるからです。


▲千曲川と河畔の小森にある石土手遺構は昔の流路を示す

  とはいえ、遺跡には千曲川の水害によって破壊されて放棄されたという痕跡はないそうです。しかし、大きな氾濫洪水が年数を置かずに反復すれば、集落群は持続が困難になってしまうことは明らかです。おりしも時代的には、南宮遺跡の集落が消滅した前後に富部御厨の集落が成長してきたと見られています。

  という文脈からして、東福寺の起源に関する歴史を考えるさいには、千曲川水系の古地理と古代の遺跡の探索とを結びつける必要があります。そして、18世紀半ば以降に本格的に進められたこの一帯の農村開拓・開墾の歴史についても、千曲川水系がもたらした恵みと過酷さをともに眺める必要があります。


昭和前期の面影を残す東福寺小森西の集落。白壁土蔵が続く豊かな農村風景。

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