◆中組バス停付近◆
▲川幅3メートルほどになった依田川
上立場から400メートルと少し歩くと、下和田中組のバス停にいたります。
若神社風の造りのバス停待合室の脇には、これまた馬頭観音碑が立っています。この地区では、数百メートルごとに馬頭観音碑が見つかります。
舞道を挟んでバス停の向かい側には、斎藤木材という会社の大きな倉庫工場があります。それは和田支庫(支工場)にすぎません。それは、この地帯で林業や森林資源が持つ意味の大きさを物語るものです。
▲木材会社の事務所脇の屋敷神の祠
この一帯の古くからの民家の敷地には稲荷社の祠が設けられています。いわゆる屋敷神というもので、下諏訪町などでよく見られます。
▲古びた門がある庭の屋敷神の祠
◆大年神社◆
このバス停の東に広がる水田地帯のなかに、まだ新しい端正な社殿がポツンと立っています。国道142号を走っていてその社殿を見かけて気になったので、長和の里歴史館で尋ねたところ、大年神社だとわかりました。
これは田中氏一族が氏子になっている神社だそうです。16世紀半ば、南佐久郡の海ノ口城の領主平賀源信が武田信玄の奇襲で討死したのですが、その重臣だった田中家がこの地に逃れ、城主を含む戦死者の霊と祖霊を祀ったのだとか。
祭神は大年神。大年とは「大晦日」「新年」「豊作の年」などを意味するので、無事に年越しをして新年を迎え、豊作を願う神様だということでしょうか。
◆三千僧接待碑と蚯蚓神◆
さて、街道に戻って少し北に進むと、三千僧接待の碑が道祖神などとともに立っています。
その昔、この近辺に信定寺別院の慈眼寺があって、「一千僧接待」と称して諸国遍歴の多数の僧たちに宿と食事、傷病手当などの接待を施していたとか。この福祉活動の発願人は田中家だそうです。
江戸中期には、福祉活動の範囲を拡大して「三千僧接待」としたそうです。
接待碑の少し先には、蚯蚓神のモニュンメントと説明板があります。街道の西側の山裾に蚯蚓神社(今では四阿だけ)があったのだそうです。土壌の肥沃さを生み出すミミズや一切の生き物を敬い大切にするエコロジックな信仰ですね。
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