◆間口が狭く奥行きが深い◆
奈良井の街並みは町屋の列からできている。
家屋の造りとしての町屋とは、街道に沿った間口が狭く奥行きが深い家の形のことである。そして通常、切妻面(妻面)は街道と直角になっている。
街道沿いの宿場町では、街道に面した側の幅、つまり間口の広さはそれこそ希少な資源で、きわめて大きな資産価値を持っていた。
だから、商家への賦課金や課税の基準となる資産価値は、通り沿いの間口の幅に比例して評価された。いや、街道沿いの商業地では資産価値は累進評価されていた。
そこで、宿場で希少な経営資源をできるだけ格差を少なくして、多数者に平均に分配し、さらに個々の商家の課税額を抑えるために、間口の狭い町屋造りが生まれたのだろう。
とはいえ、取引きや客の接待、商談、帳場の管理、商品や材料の保存や在庫管理のための空間は必要だ。もちろん、居住・生活空間も必要だ。
そこで、深い奥行きを持たせて商家の床面積を確保する建物になった。
◆居住の工夫◆
ところが、商家の財力や商いの大きさ、そして業種によって間口の大きさはまちまちだ。影響力や重要度が大きく資産と経営の規模の大きな商家は、一定の範囲内ではあるが、より広い間口の幅を持つことになる。
間口の大きさもさることながら、裕福な商家は、町屋の造りに手を加えて、居住空間の快適性を高める工夫をした。
居住空間や商用空間との兼ね合いを考えながら、奥に「坪庭」や「箱庭」を設えたのだ。
坪庭、箱庭とは、大きな造りの有力商家の奥座敷近くに、1坪ないし2坪ほどの四角形の空隙を造り、そこに地面を露出させて樹木や草花を植えてつくった「ミクロの庭園」である。箱庭の周囲には、板敷きの縁側や渡り回廊などが設えてある場合が多い。
座敷や勝手、居間などから坪庭を眺めると、明るい緑の植栽が映えて、なんともホッとし穏やかな気持ちになる。
京や金沢などの大きな城下町では、大きな資産の有力商家は多かったので、坪庭の数も多いが、山中の街道宿場ではごく珍しいものとなる。だが、木曾路で最有力の宿駅、奈良井にも坪庭があった。
この宿で博物館として公開されている《上問屋 手塚家住宅》のなかにみごとな坪庭がある。現在まで大切に保存されてきたのだ。所有・管理者の努力がしのばれる
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