◆無住化や荒廃が目立ってきた◆
おそらくこの集落は、明治初めに顕光寺奥の院前の大門通りから宿坊がこの地に移転させられてから形成されたものでしょう。それ以前は深い山林に覆われていたのでしょう。
その面影は今でも色濃く残っています。つまり、この集落は山林に取り巻かれていて、むしろ森の隙間に家屋や田畑が割り込んでいると見るべきかもしれません。
明治政権の意向を受けて、戸隠神社中社の門前街として山林のなかに人為的に建設された宗教都市集落なのです。
ところが近年、この通りの両側の家屋のなかに、無住になったり店舗を廃業して閉鎖されたりしているものが目立ってきました。無住化・荒廃化と、それを防ぐための古民家の修復・復元をともなう新たな街づくりとが競い合う状況になっています。
◆宿坊が並ぶ家並み◆
中社前通りをのぼっていくと、原山竹細工店の裏手の大石灯籠から上には、通りの両側に宿坊・旅館が目立つようになってきます。横大門と並んで、ここが明治以降の中社前集落の中核ということになるでしょうか。
ここでも、伝統的な造りを保った宿坊古民家でもその多くが、茅葺屋根の修繕や補修に大きな費用と手間がかかるので、三十数年前ごろから金属板葺きに変わってきています。なかには現代風の和風建築に改築されたされたものも目立ちます。
それでも、戸隠が国内的にも世界的にも観光地として注目されるようになってからは、伝統的な茅葺屋根の復元や古民家の修復保存を目指す動きが始まっています。
▲蕎麦処 うずら家
▲五斎神社の拝殿は入母屋茅葺
◆中社境内を歩く◆
さて、中社大鳥居をくぐると、石段をのぼって最上壇の拝殿に参拝することになります。その周りには青龍殿や社務所が並び、奥には「さざれ滝」が水しぶきをあげています。
ところで、山や森をご神体としながら八百万の神を祀る日本の神社らしく、この境内にも多数の神を祀る社殿・祠があります。なかでも重厚な五斎神社の拝殿は大鳥居の横にあって、ひときわ印象的です。裏手の斜面に小さな本殿が置かれています。
▲宣澄社の社殿。天台宗の宣澄阿闍梨を祀る。
▲中社の西脇を抜ける奥社への古い参道
▲手水舎横の参道石段
▲樹齢700年の三本杉
▲拝殿脇にある中社社務所
▲境内裏山から流れ落ちる「さざれ滝」
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