◆女性のための祈願所◆
宝光社の祭神は天表春命で、中社の祭神である天八意思兼命の子だということです。技芸、裁縫、縁結、安産、厄除、家内安全などの神徳があり、婦女子や子供の守り神として崇められてきました。
戸隠山が修験場だった時代(江戸時代まで)には、おそらく中社から先は女人禁制となっていたので、せめて戸隠のとば口にある宝光院までは女性や子どもの参詣を認めていたのではないでしょうか。
しかし、戸隠街道から宝光社拝殿までのぼる石段は全部で5段階あって、総段数は270にも達するのだとか。女性には楽な参道ではありません。
ところが、宝光社の近傍に並ぶ宿坊――明治初期に奥社から移転させられた――にいたる小径が、急坂がない戸隠街道の脇道として通っていたので、女性や連れの子どもたちはそこを歩いて参詣したのかもしれません。多くの旅人は高低差のない脇往還を経て戸隠に参詣したのかも。
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▲宝光社前の宿坊
◆古い戸隠街道の道筋を推定する◆
私は村内の小径を歩いてから地図を見てこう考えました。現在の戸隠街道(県道36号)は自動車の普及に応じて建設された新道で、昔の戸隠街道は郵便局前を東に抜けてから西に折り返し、つづら折りの道で旧宝光院前にいたり、さらに宿坊横川の手前を通って火の神子社脇の小径をのぼって中社下に出たのではないか、と。
県道36号はエンジン付きのクルマでなら苦も無く中社まで到達することができますが、自らの足だけを頼りに1日に何里も歩いて旅する人びとにとっては消耗が大きすぎます。ジグザグの道を辛抱強く歩きながら、標高を稼いで戸隠神社に詣でたはずです。
◆宝光社の境内◆
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▲傾斜が緩やかな女坂は石段の脇を迂回する
県道から最初の石段をのぼると平に造成した壇があって、ここにはお手洗いと手水舎、説明板があります。おそれく江戸時代まではここに宝光院の堂宇が建ち並んでいたのでしょう。
この壇からさらに石段を4つのぼってようやく宝光社拝殿に達することができます。手摺りが設けられていても石段参道は傾斜がかなり急なので、その脇を迂回するように、傾斜のずっと緩やかな参道として女坂があります。石段参道は杉の老巨樹の並木に取り巻かれています。見ると、下るときに石段を避けて女坂を歩く参詣者が多いようです。
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▲傾斜が緩やかな女坂は石段の脇を迂回する
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神輿倉のなかに保管されている神輿
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