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長野県長野市戸隠
自然の懐に抱かれて  

  江戸時代までは神仏習合の伝統のなかで、戸隠は天台宗の顕光寺領が統括する修験場でした。奥社は顕光寺の奥の院、中社は中の院、宝光社は宝光院でした。ところが、明治維新にともなう神仏分離・廃仏棄釈運動によって、寺院としての組織や制度、施設が破壊されてしまいました。
  戦国から江戸時代までは、奥社参道――のうち大鳥居辺りから随神門辺りまで――は顕光寺奥の院の大門通りで両側には塔頭支院としての院坊がたくさん並んでいたそうです。ということは、その昔、深い山林のなかにありながら巨大な寺院であった奥の院近辺には、僧侶や修験者、多数の寺院施設や宿坊の働き手などを合わせて1000人を超える人びとが暮らしていて、活気のある街集落だったのたのでしょう。
  今では堂宇や院坊の遺構も朽ち果てて、樹林に飲み込まれてしまっています。参道の周囲は原生の自然林と変わりません。


▲巨大な杉に比べて人間はなんと小さなことか!

  しかし、奥社参道の両側に並び立つ杉の巨木群は、江戸時代初期の神仏習合と幕藩体制による所産であり、遺産なのです。顕光寺は徳川幕府から千石という破格待遇の寺領を与えられていて、400〜350年ほど前に幕府の命令で松代藩が参道の整備と杉並木の植樹をおこなったのです。


▲奥社の社殿群の手前の石段 最後にきつい坂が現れる。

■圧倒的な自然林に取り巻かれて■

  私自身の経験をもとにすると、奥社参道は3つの部分に分けられます。
  一つ目は、大鳥居から隋神門まで。二つ目は、隋神門から奥社手前の急坂の前まで。三つ目は、石段の急坂から奥社本殿まで。

◆大鳥居から随神門まで◆

  最初の区間は、ミズナラやブナ、シラカバ、イチイなどからなる自然林のなかを往く道です。
  森のなかでは、蔓植物の蔦やアケビなどはすっかり紅葉し、なかにはかなりの葉を落としているものもあります。
  この辺りを歩いているとき、近くでカツーン、コツーンという音が響いてきます。そして、目の前にミズナラの実が落ちてきました。直径1.5cmほどのドングリでした。木の実は笠から外れています。
  ドングリが笠から外れて枝から落下し、枝にぶつかる音でした。
  実を落下させている樹木は、葉を黄変させ、すでに晩秋から初冬への備えを固めているようです。
  とはいえ、大半の樹木の葉はまだ緑で、晩秋の間際まで陽の光を浴びて光合成を続けようとしています。厳しい冬を乗り切って、春先に若葉や花をつかるための準備に怠りないというわけです。

  ところで随神門は仁王門とまったく同じもので、神社の境内の場合の呼び名です。江戸時代までは顕光寺奥の院があったので仁王門と呼ばれていました。このほかの寺院の堂宇は明治初期に破却されてしまったそうです。
  大鳥居から随神門までの参道は往時、「大門通り」と呼ばれていて、通りの両脇には院坊(宿坊:小さな寺院)が数多く並んでいたのだとか。奥社近くの急斜面の下には大きな講堂などの堂宇もあったそうです。現在の中社前のように宿坊が並ぶ風景があったのです。院坊は、明治期に宿坊として中社前や宝光院前に移転させられたのだとか。参道脇の樹林や藪は「夢の跡」とも言えそうです。


▲合体した杉の木。隣り合った樹木が成長して太くなり、互いに根元から幹が合体する。

◆随神門から奥社殿前の急坂まで◆

  随神門をくぐると、参道の様子は一変します。道の両側に樹齢400年に近い杉の巨木の並木が続いています。
  参道両脇には、杉の老巨樹の列が頭上に覆いかぶさっています。とはいえ、杉の列は1列か2列で、杉並木の背後には高原の自然林が広がっています。杉並木はおそらく平安時代からあったらしく、その後、室町末期から戦国期にかけて杉並木の系統的な育成が始まったようで、現存の杉並木のほとんどは江戸時代の初期に松代藩が植樹したもののようです。
  老杉の幹の直径は1メートル近く――あるいはそれ以上――もあって、その根元を私たちが歩いているのです。杉の大きさに比べて、人間の小ささを如実に感じます。
  ところで、参道整備のために杉の根元近くまで工事を施したり、根元近くを多くの人間が歩いたりするので、このところ杉は急速に衰弱してきているのだとか。根元近くの幹の内部が腐食してが空洞化したり、根が弱まってきたりで、倒木の危険が増大しているそうです。


▲飯綱大明神の鳥居と社殿

◆奥社本殿近く◆

  飯綱大明神の近くから参道の傾斜は一気に険しくなります。この辺りでは、これまでの参道歩きの疲れが出るうえに、勾配のきつい坂登りで、息が切れて歩きがつらくなります。
  そんなときは、上を見上げて気分を変えてみましょう。奥社の背後に屹立する戸隠山の岩稜が見えるかもしれません。

  さて、奥社の社殿群は戸隠山の岩壁の下の高台に建立されています。社務所と九頭龍神社のあいだには、岩稜に登る登山道があります。
  谷を挟んで社務所と九頭龍神社の向かいの壇上に奥社の本殿拝殿があります。石垣やコンクリートで支えた頑丈なテラスに社殿が配置されています。
  奥社本殿の前で何人かの観光客にインタヴュウしてみると、多くは台湾や香港、シンガポールからの旅行者でした。戸隠は今、東ないし東南アジアの人たちのなかで旅行先として人気を高めているようです。
  この辺りでは10月中に雪が舞い始めることもあります。うっすら冠雪した戸隠山を背景にカラマツなどの黄葉を眺めるのも、戸隠高原の晩秋の風物です。


▲奥社下の湧き水と池

▲奥社からの帰り道


随神門をくぐると、参道の様子は一変する

江戸初期に松代藩が杉を植樹して参道を整備した

杉並木の奥には現生の自然林が広がっている

ミズナラやダケカンバ、イチイなどの混合林

参道近くを流れる沢

参道から逸れて沢に降りてみた

並木の根元近くに見える小さな影が参拝者
奥社が近づくと傾斜は急になる

古い石段をのぼっていく

壇上に奥社社務所が見えてきた
奥社九頭龍神社 背後に戸隠山の岩壁が迫る

最上壇に奥社の拝殿。この辺りの積雪は3メートルを超えるので、豪雪に耐えるためコンクリート製になった。真冬には村の氏子住民が社殿を雪から掘り出しに来る。

古い木製の拝殿も残っている

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