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長野県長野市戸隠
不思議な由縁の神社  

  戸隠宝光社と中社との中間(ほぼ真ん中)に位置する火之神子社。主祭神は天鈿女命あめのうずめのみことで、神話では天照大神を岩戸の奥から誘い出すために岩戸の前で踊ったと伝えられている。
  戸隠山生成の原因となった天岩戸の物語に登場する神だから、戸隠にはいかにもふさわしい神社だ。


▲火之神子社の境内 境内を中社に向かう小径が通っている。右端に「西行桜」の立札がある。

  戸隠でこの神社だけは、顕光寺の宰領に属さず独立の神社として存在してきたという。神社の由緒には直接結びつかない「火之神子」という奇妙な名前の神社で、本来の由縁に関する記録はないようだ。


▲宝光社や神道に連絡する森林遊歩道

■森のなかの地味な神社■

◆中社前から歩く◆


▲火の神子社に向かう遊歩道

  戸隠街道に沿った巡路では、宝光社の次にこの火之神子社に参拝し、そのあと中社、さらに奥社と道をたどるべきなのでしょうが、今回は中社前から県道36号から分岐する遊歩道をたどって火之神子社を訪ねることにします。
  戸隠の各神社は森のなかを往く古くからの小径によって結ばれています。戸隠の各神社は、本来、神道とも呼ばれる森林遊歩道をたどってめぐる方が、戸隠高原の体験としてははるかに面白いのです。
  火の神子社の境内を横切る遊歩道は、中社と宝光社とを結ぶ神道(古参道)と連絡していて、この遊歩道が古い戸隠街道に沿った道筋ではないかと推測できます。

  さて、アルピコ戸隠支所の下で県道を西向きに逸れて、階段を下る遊歩道を数分歩くと火之神子社の境内の東端に出ます。そこには「西行桜」と呼ばれる山桜(オオヤマザクラ)に関する説明板が立っています。現在そこにあるのは、平安末期に生きた西行法師が見たとされる期の子孫でしょう。
  ここで西行が桜の木に登る子どもたちを見たとすると、その木はその当時の街道(参道)沿いにあったわけで、私がこの遊歩道を旧戸隠街道と推定する理由です。

◆来歴を物語る社殿の結構◆


▲森閑とした森を往く

  さて、境内の南から西にかけては杉の巨樹に取り囲まれています。主だった木の樹齢はだいたい200年以上でしょうか。
  拝殿は南向きで、その正面に小ぶりの鳥居が道路に面して立っています。クルマで県道を走ってくると、樹林に取り囲まれた小さな鳥居は見逃してしまうでしょう。
  拝殿は神明社風の結構で、大棟の両端に千木が設置されています。大和王権系の社殿の造りは、この神社が、神仏習合の伝統を残す戸隠ほかの神社とは来歴が異なるということを物語っています。

  ところで、火之神子とは日ノ御子とも表記されるようですから、大和王権系の神社であるからには、ここは古くは天照大神(陽の神)の子孫を祀る社だったのかもしれません。しかし、神社の本来の由緒に関する記録は見当たらないようです。
  というわけで、この神社は由縁に関して大いに不明点があるのです。もっとも、現代人の私たちが歴史について知ることは、ほんのわずかなものにすぎないのが当たり前なのでしょうが。


▲ミズナラの樹林を抜けると県道に行き着く

◆古参道に連絡する遊歩道◆

  境内に西端から西に向かう遊歩道が続いています。その小径を300メートルほど進むと、T字路に出会います。右に折れて北西に進むと、宝光社から中社に向かう古参道(神道)に連絡します。
  南東に進むと、ミズナラの林を抜けて権道に出ます。ただし、こちらの径は、めったに人が通らないようで倒木が途をふさいでいるところもあります。


中社前の県道36号の大曲りから西に逸れて遊歩道に

斜面を下って火之神子社に向かう

沢伝いに森の小径を歩く

ミズナラの樹林を抜けると県道に行き着く

火之神子社の拝殿 神明社風の造りだ。

境内の様子(拝殿前から西向きの眺め)

森林遊歩道から火之神子社社殿を眺める

境内の西端から森林遊歩道に分け入る

スギ、ミズナラ、カエデ、ブナなどの混合林

昔の旅人はこんな杣道を歩いて参詣した

この小径の先に宝光社からの神道がある

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