観音堂と三重塔への石段を登らずに、さらに参道を行くと、墓地を過ぎて、深い山林に入ります。そんな山奥に、大きな寺院があるのです。
萬年山東昌寺です。
こんな山の上に、こんな立派なお寺があるのか! と驚きます。
山道のどこかで青木村と上田市との境界を越えたらしく、東昌寺の地籍は上田市に属しています。
大法寺の駐車場に車を置いて歩くことをお勧めします。「やれやれ難儀だ!」と狭い山道を登り疲れた頃合いに、寺にたどり着くはずです。
上田方面からは、そこそこ広い道を車で来ることもできます。
禅宗に特有の楼門様式の山門が迎えてくれます。格調の高い雰囲気です。
境内にはみごとな老大樹がたくさんあります。
中門(冠木門)のすぐ右手前には、高野槇(こうやまき)の大樹。高野槇の大木があることが、この寺が相当な由緒を持つことを教えてくれます。
▲上田側から登ってくると、
庫裏側の冠木門から入る
◆創建は鎌倉中期◆
東昌寺は、鎌倉時代からこの地を支配した豪族、浦野氏の菩提寺で、13世紀半ば(鎌倉中期)に創建されたといいます。
土塁や石垣で防備された寺域は、まるでこの時代の城砦=山城に匹敵する「縄張り・普請」です。
縄張りとは、築城構築における城砦の基本設計であり、施設の配置を意味します。普請とは、基礎造成の土木事業を意味します。
山門から石段を登ると本堂です。本堂の前には、まるで仏塔のようにみごとな意匠の鐘楼(県有形文化財)があります。
その屋根はあたかも仏塔の裳階のような造りで、垂木の曲線は放射状に美しく流れ、肘木も優雅に組まれています。
近隣一帯にこれほどたくさんの立派な寺院が建立されてきたことを見るにつけ、上田小県一帯は、往時どれほど豊かだったのでしょうか。
「信州の鎌倉」という表現は少しも誇張や宣伝文句ではありません。こういう事実を叙述する言葉にすぎません。
▲見上げると、巨鳥の飛翔姿に見える鐘楼
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