野沢の里は、中世に始まる城下町と言ってもいいでしょう。伴野氏が鎌倉中期にここに居館を築き、この一帯の統治や開拓の本拠としたのです。
16世紀末、より大きな勢力圏に併呑され野沢城が廃棄されてのちも、この場所は一帯の「まほらば」として活用され、大伴神社をはじめとする数多くの祭神を祀る神域として守られてきました。
▲池中の社殿 祭神は確認できなかった
▼物見台だったと思われる一角
公園に今でも残っている中世城郭の土塁は、西側と北側、ならびに東側の一角だけです。そのうち南西端の一段と高い土塁郭に物見櫓があったと思われます【写真上】。
公園の四囲には浅い水路がめぐらされていて、感じのいい水場の景観をつくり上げています。池にはコイやフナやハヤなどがいますが、近隣の川や用水とつながっているので、自由に出入りしているようです【写真下】。
下水道が整備されてきたため、水質はかなり回復していて、初夏にはバイカモの花が咲きます。
◆土塁と濠と石畳の路◆
伴野氏の野沢城の名残りをとどめる土塁の堤は、今では桜並木となっています。春には桜が咲き誇ります。
その土塁を囲む堀川と石畳の道が織りなす光景は、一見の価値があります。
▲公園の北辺の土塁と堀川そして石畳の路
◆金 台 寺◆
城山公園のすぐ南側にあるのが紫雲山来迎院金台寺です。時宗を興した一遍上人が道場を開基したと伝えられています。
ここには、国の重要文化財「一遍上人絵伝巻二」――一遍上人の生涯を描いた絵説書――があるそうです。
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