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長野県佐久市野沢
 
 
 
城跡と古刹の街  

  貞祥寺から東北東に2.5キロメートルほどのところに野沢という市街があります。その中心部には、「懐かしい日本」の面影を色濃く残す地区があります。伴野城跡や金台寺、薬師寺など、古い歴史を感じさせる景観を楽しむことができる美しい場所です。

今は城山公園となっている伴野城跡

  城山公園は、東西約80メートル、南北約110メートルほどの長方形をなしています。ここは、鎌倉時代以来、城館を構えた伴野ともの氏の本拠でした。信濃国司の加賀美氏の息、小笠原長清が佐久伴野庄の地頭領主となり、伴野姓を名乗ったそうです。この家門は宰一郎主としてここに城館を築いて統治したとか。
  ところが、この系統はひとたび断絶し、その後、北条氏が統治し、城砦を改修整備し、堀と土塁をめぐらして防御と統治の拠点としたといいます。室町末から戦国時代には、遠縁だが別系統と見られる伴野家が、前山に城館を築いてこの一帯を治めたようです。城館はそのまま出城として利用されたようです。城山公園はその本丸跡で、土塁と四囲をめぐる用水が、今でもその名残をとどめています。

■歴史が薫る城下町 野沢■

  野沢の里は、中世に始まる城下町と言ってもいいでしょう。伴野氏が鎌倉中期にここに居館を築き、この一帯の統治や開拓の本拠としたのです。
  16世紀末、より大きな勢力圏に併呑され野沢城が廃棄されてのちも、この場所は一帯の「まほらば」として活用され、大伴神社をはじめとする数多くの祭神を祀る神域として守られてきました。


▲池中の社殿 祭神は確認できなかった

▼物見台だったと思われる一角

  公園に今でも残っている中世城郭の土塁は、西側と北側、ならびに東側の一角だけです。そのうち南西端の一段と高い土塁郭に物見櫓があったと思われます【写真上】。
  公園の四囲には浅い水路がめぐらされていて、感じのいい水場の景観をつくり上げています。池にはコイやフナやハヤなどがいますが、近隣の川や用水とつながっているので、自由に出入りしているようです【写真下】。
  下水道が整備されてきたため、水質はかなり回復していて、初夏にはバイカモの花が咲きます。

◆土塁と濠と石畳の路◆

  伴野氏の野沢城の名残りをとどめる土塁の堤は、今では桜並木となっています。春には桜が咲き誇ります。
  その土塁を囲む堀川と石畳の道が織りなす光景は、一見の価値があります。

公園の北辺の土塁と堀川そして石畳の路

◆金 台 寺◆

  城山公園のすぐ南側にあるのが紫雲山来迎院金台寺です。時宗を興した一遍上人が道場を開基したと伝えられています。
  ここには、国の重要文化財「一遍上人絵伝巻二」――一遍上人の生涯を描いた絵説書――があるそうです。

石碑と稲荷社 北西端にある▲

東側の北隅に残る土塁跡▲

公園の南端の池 水路になっている。
この日は水鳥が水浴びをしていた。
魚も鳥も自由に出入りしているようだ。

公園を囲む石畳の道。右手に薬師寺がある。

公園の北東端。土塁を囲んで堀川が流れる。


金台寺の山門
 野沢の商店街に金台寺の総門がある

【写真上】金台寺の本堂。来迎院の偏額の下に本尊阿弥陀如来という説明板が掲げられている。

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