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長野県大町市
 
 
アルプス山麓の三重塔  

  若一王子神社はアルプス山麓にあります。
  神社の鎮守の森は、東側から見ると北葛岳と蓮華岳を真後ろに背負っているようです。蓮華岳の奥には針ノ木岳が鎮座し、稜線伝いに北に向かって赤沢岳と鳴沢岳、岩小屋岳、爺ケ岳、さらにその北に鹿島槍ケ岳の双耳峰が連なっています。
  雄大な北アルプスの連峰の麓には、豊かな水に恵まれて、広大な水田地帯が開けています。


▲アルプス山麓の鎮守の森: 蓮華岳を背にして(初夏6月の風景)

  この水田地帯のなかで、若一王子神社は近隣を果樹園や集落に取り囲まれています。神社の鎮守の森は背の高いヒノキや、サワラ、杉などに覆われています。
  神社の最寄りの駅は北大町駅ですが、神社の参道は、JR大糸線と平行に走る千国(糸魚川)街道(県道31号)に接続してます。
  アルプスの麓の大町は、冬の寒さが厳しいところですが、その分、春の風景はことのほか待ち遠しく、また美しいものです。
大町市若一王子神社への交通ルートを調べる Google Map


▲桜が咲く頃に雪雲が襲ってくることもある(2016年4月11日撮影)

■田園地帯のなかの古い神社■

  南安曇郡から北安曇郡にいたる地方は北アルプス山麓に広がる南北に長く伸びる盆地です。このうち、安曇野市と松川村、生坂村までを安曇野と呼ぶようです。大町市はその安曇野の北に位置しています。
  南北安曇野は、古事記や日本書紀にも登場する安曇族が移住してきて開拓した地ということで、古い歴史を持っています。そのせいか、この盆地のあちらこちらに――仁科神社とか穂高神社とか――古い由緒の神社があります。
  大町市の中ほどにある若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)も古い由を誇る神社のひとつです。

  若一王子神社は、JR大糸線の北大町駅から西に500メートルほどの場所にあります。信濃大町駅からは2.5キロメートルほど北に位置し、大町から長野の善光寺にいたる大町街道沿いに鎮座しています。大町街道は北上東進して小川村で戸隠神社に向かう戸隠道と分岐します。
  街道の道筋と古い神社の地理的な配置を眺めると、古くから人びとは古い由来の神社に沿って山間の道を開拓したことが見えてきます。
  安曇野の中央部を走り大町街道に連絡する道が糸魚川街道。この道を若一王子神社から南に下ると、仁科神社、細野神社、穂高神社など錚々たる由緒の神社をたどることになります。

  人間は秀麗にして雄大な山岳を目の前にすると、森羅万象の背後の摂理を実感して神を祀りたくなるのでしょうか。

◆神仏習合の慣習を保つ聖域◆

  さて、若一王子神社は、明治時代の神仏分離・廃仏毀釈運動による破壊を免れて、神仏習合という日本の古くからの社会的慣習を保っている貴重な神社です。神社の境内に社殿群とともに観音堂と三重塔が並び立ち、独特の美しい調和と静謐をたたえています。

  この神社の起源は古く、平安時代の9世紀に仁科氏(高明王の氏族)が、後に大町と呼ばれる仁科庄の水田開発と集落建設を手がけたのですが、そのさいに水を司る水分けの神「伊弉冉尊いざなみのみこと」とともに仁科氏の祖先である二品王とその妃、妹耶姫いもやひめを祀って社を創建した(849年)のだとか。
  太古のアルプス山麓の大森林や草原を切り開いて、少しずつ農耕地を拓き、集落を建設していく人びとのたくましい動きを想像してみましょう。その集落の中心部にヒノキやサワラ、杉の樹林を残した神域をつくり、古代の神殿を建立していく様を。人びとの立ち働く姿の背後に、雄大な蓮華岳や爺ケ岳などがそびえ、人びとの働きを見守っていたのです。


2016年4月11日、参道の桜を見に来たが、雪が舞っていた

鎮守の杜の背景には赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋岳

大町街道沿いの参道入口の鳥居(6月)

参道沿いに並ぶ山桜の老大木(4月11日)。
花が開き始めていたが、この日は雪が舞っていた。

境内に屹立する杉やサワラ、ヒノキの大木

拝殿の正面に立つ赤い大鳥居

神域のヒノキ越しに鹿島槍ケ岳と爺ケ岳を遠望

樹林に取り巻かれた三重塔

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  • 大町市若一王子神社への交通ルート。
  • 画像を航空写真に切り換えられます。
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