◆宿場建設と神社の配置◆
中山道を西から下ってきた旅人は、阿禮神社前(宮下)と鍵の手で2回曲がらなければなりませんでした。これが桝形がない塩尻宿の西端の防備でした。⇒塩尻宿の絵地図
この神社の境内の一角にはもともとは八幡社があったのですが、中山道塩尻宿の都市集落の成長に応じて、1687年に宿の東方の柿沢明神平にあった阿禮神社をここに移して合祀し、神社を拡張しました。
阿禮神社は社伝によると927年創建で、もともとは東山中腹にあったものを山麓の農村開拓にともなって柿沢明神平に移設したらしい。
◆祭神と祭礼◆
この神社が祀っているのは、素戔嗚尊、大巳貴命、誉田別命の三神です。素戔嗚尊は天の神「阿禮神」、大巳貴命は国の神「大宮神(大国主)」、大巳貴命は応神「八幡神」とも呼ばれるようです。
現在では近隣7地区の氏神で、毎年7月はじめに盛大に例大祭が催され、山車舞台が町中を引き回されて境内に揃い奉納されます。
▲阿禮天神を祀る場所
◆境内と界隈をめぐる◆
境内には社殿や境内摂社などのほかにも、さまざまな記念碑やら由緒不明の鳥居などがあります。
ここには元来、八幡社がありましたし、阿禮神社を移転したさいとその後にもいくつかの神社を合祀・配祀したようですから、神殿・社殿やら鳥居やら、あるいはそれらの遺構などが並存しています。
それらについては説明も史料もないようなので、名称はもとより由緒や起源もわかりません。
▲拝殿奥の本殿
さて、神社の裏手(北東側)には田園地帯が広がっています。主拝殿の脇から水田地帯に抜ける通路もあります。そこを通るときに、拝殿の奥にある本殿を見ることができます。本殿は鬱蒼たる杉林に囲まれています。
▲神社の裏に広がる水田
薄暗い杉の鎮守の森を抜けると、目の前に広大な田園地帯が開けています。信州の中央に位置する塩尻の明るすぎるほどの陽射しが降り注いでいます。
田園地帯のなかを旧三州街道が通っていて、神社の裏手から古町まで散策することもできます。
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