◆円通山慈光院◆
江戸時代の後期には、松本から塩尻にかけての寺院を回る筑摩地方の霊場(観音)札所めぐりが盛んになったそうです。寺院の多くは山麓や山中にあって、古くから密教や禅の修練の場となっていました。
そういう霊場・札所となっていた寺院には、常光寺や永福寺、牛伏寺などが含まれています。
上西条の西端にある集落の裏山山腹にある慈光院は、その筑摩霊場めぐりの第三十三番札所となっていました。この寺には聖観音像が置かれているといいます。
▲山林に取り巻かれた参道
慈光院は、鬱蒼とした山腹の杉林のなかにあります。ここにいたる参道は2本あって、ひとつは慈光院下というバス停から直登する小径。もうひとつは、等高線とほぼ平行に通っている杉林のなかの道です。
後の方の杉林の参道を西に向かうと、中西条地区にある三嶽神社の横にいたります。道脇の雑草は刈り込まれています。
▲本堂に上る階段
▲入母屋瓦葺の鐘楼
写真が描くように、慈光院の周囲は静謐そのもの、寂寞に支配されているというべきところです。しかし険しい場所はないので、里歩きには向いたところです。
◆中西条の三嶽神社◆
慈光院下のバス停から西に500メートルほど進むと、集落の南端の北に張り出した尾根の麓に石灯籠と狛犬に守られた鳥居が見えてきます。三嶽神社は北西向きです。
それが三嶽神社です。何しろこの辺りには縄文時代から集落がありましたから、この神社も相当に古いはずです。神社の境内や一帯の山裾からは、上古の土器や遺物が数多く出土しています。
この辺りでは南から尾根が何本も北に向かって張り出しているので、集落の裏山に神社を祀るとなると、北向きないし西向きにならざるをえません。これは、一般的な日本の神社の向きとは異なっています。
が、そういう風習ができる――中国大陸から陰陽道や風水思想が来る――はるか以前から集落が存在するところでは、方角に関係なく、水害の怖れがない集落の背後の高台に祭祀の場所を設けたはずです。
ここは、そういう太古の信仰の痕跡をとどめているような気配がします。
▲山林に取り巻かれた参道
三嶽神社の祭神は高皇産霊尊、少彦命、猿田彦命で、境内社として天満宮、水神、祝塚を祀っているとか。
上古の史料は火災ですべて焼失してしまい、その後、神社が武田信玄の後援で再興されたので、神社の起源は不明だそうです。
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