以下の記事は、塩尻宿街歩き絵地図を参考にして読むと便利です。
◆庚申塚と馬捨場跡◆
馬捨場というのは、江戸時代、街道の輸送荷役や水田耕作のために使役された馬が死んだときに葬られた場所でした。街ごと村ごとにそういう場所があったようです。また皮革製造のために屠殺された馬がまとめて葬られた場所だった場合もあるとか。
人びとの役に立ち死んでいった馬に感謝し、冥福を祈る場所だったということです。が、そこに庚申塚、つまり陰陽思想が下敷きになって仏教(密教)や神道などと素朴な民衆信仰が結びついて生まれた祈りの場が併設されたようです。
◆秋葉神社と太子庵跡◆
塩尻宿は、18世紀になって集落が成長して家屋が密集すると、何度も大火に見舞われました。そこで1842年、火伏の神、浜松の秋葉権現(秋葉山本宮)から勧請してここに秋葉神社を創建したそうです。
祭神は火産霊命、大山祇命、天狭霧です。
秋葉神社への参道は、上町から五千石街道に入って最初の辻を東に曲がって山に向かうと、麓に案内板があります。尾根の上の高台まで登る細くて長い階段(200段くらい)を登ったところにあります。
その石段参道の登り口の脇には、太子庵跡があります。おそらく聖徳太子の遺徳を偲ぶ庵があったのでしょう。だとすると、ここは往古、大きな寺院があったのかもしれません。
◆五千石街道脇の住吉社◆
五千石街道古町の北に、住吉神社の鳥居と祠があります。
住吉神社といえば海の神様を祀る神社で、船乗りたちや漁師たちに厚く信仰されました。信州の中央部の宿駅にあるのは一見奇妙なな感じがしますが、ここは交通の要衝で、古代から海の塩が運ばれたところなので、不思議ではないのかも。
住吉神社は18世紀初頭まで、本格的な社殿がある神社ではなく、信仰者たちの移住定住とともに各地に祠が造られ祀られたものだったようです。属地的な神というよりも俗人的な神だったようです。
街道沿いにここから50メートルほど南に住吉神社跡があるので、そこからここに遷座されたのでしょう。
◆駒形観音堂跡◆
住吉社から30メートルほど北に街道を進むと長畝という地区があって、四つ辻の南側の草地に駒形観音堂跡があります。永福寺の前身の長福寺があった場所です。
そこには今、小さな木造のお堂があります。最近人がお参りした形跡はないのですが、広場の草もきれいに刈り込まれていて、お堂も大切に保存されているようです。しかし一見したところでは、今そのお堂が何に使われているのかわかりません。
◆薬師堂と修践社跡◆
▲端正なお堂
下町の鍵の手の辻の小道を南に500メートルほど歩くと、周囲を水田に囲まれて薬師堂があります。銅葺き屋根の端正なお堂です。
ここは、明治初期まで続いた修践社という学塾の跡地でもあります。お堂の脇には墓地や六地蔵があります。快晴の日には、境内から北西には北アルプスの穂高連峰が屹立する姿を眺めることができます。
▲お堂脇から穂高連峰を遠望できる
◆道祖神たち◆
道祖神は、古い集落単位ごとに少なくともひとつはあります。塩尻宿でも同じで、宿のいたるところにあります。ここでは代表的な道祖神を紹介します
まず、仲町交差点脇にひとつ、石碑が横に並んでいます。そこからさらに国道沿いに50メートルほど東に進むと、道路の脇に双体道祖神が鎮座しています
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