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長野県塩尻市柿沢
~岡谷市今井
 
  写真は、塩尻峠の最高地点にある塩嶺御野立おのだち公園の展望台から諏訪湖を展望した風景です。谷間からは岡谷市と下諏訪町の市街、左奥(東側)には八ケ岳連峰、右奥(南側)には守屋山系や入笠高原を眺めることができます。   

塩尻峠越えの旅のあらまし

  中山道の塩尻峠は、塩尻から諏訪湖畔の岡谷に向かう高原の小径です。諏訪盆地の北には――美ケ原高原の南に続く――高ボッチ高原があって、その南に張り出した山塊が東山で、峠道はこの山塊の南の縁に沿って尾根を越え諏訪湖畔に降りていく道です。
  地形図を見ると、中山道沿い塩尻宿東の柿沢は標高がおよそ770メートルで、塩尻峠の最高地点が1050メートル、そこから岡谷市今井を経て諏訪湖畔の標高が760メートルくらいになっています。塩尻宿から下ノ諏訪宿までの道のりはおよそ15キロメートル。


▲柿沢集落の東の外れ、田園地帯から西方を眺める。右手の丘は丸山、その奥左手は霧訪山系、最奥の背景は乗鞍に続く山岳。

  塩尻峠を含む4里近くの道のりの間には宿場はありません。旅人たちは、峠越えのために険阻な山道を上り下りすることになります。そこで、塩尻宿を出立して峠の最高地点に到達する手前と下りきってからの今井集落に休憩用の茶屋を設けて、旅人に便益を提供することになりました。 峠が柿沢村と今井村との境界となっていました。山中で危急に供えて、臨時の宿泊施設ともなるように立派な建物にしたようで、「茶屋本陣」と呼ばれるようになったとか。


▲柿沢の南方の丘陵。稜線の向こうにはみどり湖がある。


▲街道沿いから北西の眺め。稜線の彼方に穂高連峰が見える。峰の下は上高地。


▲東山の中腹を往く国道20号。画面中央の登りの細道が旧中山道遺構。


▲高速道路を跨ぎさらに国道20号を越えると、樹林に取り巻かれた山道になる


▲東山の一里塚跡の脇を往く旧中山道。右の盛り上がった塚が一里塚の遺構。


峠を下りきった今井集落の手前の高台から諏訪湖を眺める▲


眼下に岡谷の街と諏訪湖。快晴ならば上諏訪の谷間越しに富士山が見える。▲


古民家が残る今井の交差点。少し下ると横河川と出会う。▲


東堀柴宮の集落のなかを往く中山道は庭園に囲まれている▲

  峠越えの旅については、このあと
・柿沢集落をめぐる旅
・峠のぼり道の旅
・東明神社探訪
・上条家茶屋本陣跡
・峠くだり道の旅
・石船観音
を特集した記事で報告しますが、ここでは「あらまし」の旅日誌を記します。さらに岡谷の中山道めぐりとして
・今井集落をめぐる旅
・東堀柴宮をめぐる旅
も特集しています。
  旧街道の脇には茶屋本陣の遺構(古民家)は保存されています。道祖神や馬頭観音などの石仏・石塔も残っています。東山山中を往く道沿いは、高度経済成長の波に洗われることがなかったというか、取り残されることになったので、往時の街道風景が数多く残されています。そのため、旧中山道塩尻峠を越える旅では、古い時代の歴史や文化、生活の痕跡を探索することができます。
  さて、柿沢集落を外れると峠道の本格的なのぼり道となります。しだいに標高を上げていく道脇で振り返ると、西方には乗鞍高原にまで続く山並みが連なり、北西方向には冠雪が始まった穂高連峰を遠望できます。南方を眺めると、丘陵の畑作地の向こうに丘が続いています。なだらかな稜線の向こうにみどり湖があります。降水量が少ない塩尻地方に多い灌漑用水を蓄えた溜め池のひとつで、最大のものです。

  峠に向かう旧中山道は、高速道路(長野自動車道)と交差し、上を跨いで往くことになります。そこから、本格的な山道・山林のなかを進む小径となります。旧中山道は谷や尾根を迂回するとはいえ、徒歩での旅を想定したものなので、できるだけ屈曲をなくして最短距離を往く小径です。
ところが、国道20号は自動車の通行のためにつくられた道路なので、尾根や山腹を大きく回り込んで大きく屈曲します。そこで、旧街道と国道とは一度は交差し、その後は近づいたり遠ざかったりを繰り返します。そして、岡谷市長地でふたたび交差します。そこから中山道は国道の南側の市街地を進み、下諏訪町の下社春宮大門の東で合流することになります。

  その途次、東山の尾根裾で標高900メートルを超えた南向き斜面には集落があります。平坦に近い緩やかな丘なので、耕作地を開くことができたということでしょう。ただし、江戸時代にあったのかどうかはわかりません。東明神社がこの集落の鎮守となっているようです。

  この集落で東山の中腹を往く国道と連絡した後、旧中山道はふたたび山林のなかを往く森閑とした小径となります。ここからは、旧街道沿いに往時の中山道の面影を残す風景をたくさん目にすることになります。
  そんな旅のなかで、印象に残ったのは東山の一里塚跡です。山中のためか、ここには今でも江戸時代の一里塚――盛り土塚――が往時に近い形で残っています。周りの樹林のなかに埋もれているような感じですが、塚の形を崩してしまうような草木は近隣住民の手で刈り取られて整備されてきたようです。

  さて、上条茶屋本陣に到達すると塩尻峠の頂部まであと少しです。峠の先は、2つの大きな尾根の間の谷間を下っていく道筋となります。谷間には沢が流れ下っていて、その水を利用してかつては棚田が切り開かれて、往時には小さな集落があったようですが、今では棚田の跡だけが残り、集落と呼べるほどの家並みはなくなっています。
  物寂しい山道ですが、谷間の彼方には諏訪湖と岡谷の街並みが展望できて、風光明媚な場所です。谷間から見える諏訪湖の対岸は山並みが切れていて広い谷間となっています。快晴ならば、そこに富士山を見ることができます。それもあって、今は麓の住民たちが散策するコースになっていて、彼らと出会うことが度々となります。
  人里が近くなってきたせいか、谷間に峠直下から水を導く農業用水路も整備されていて、水路堰の近くに石船観音と神社があります。まもなく今井集落に到着します。そして、今井の茶屋本陣跡と番所跡があって、そこから大きな集落が広がっています。集落にはいくつも古民家が残されています。
  諏訪湖畔岡谷の旧中山道は今井集落から東堀柴宮まで、およそ6キロメートルほども続きます。宿駅はないものの、古くからの集落がいくつも連なる道程で、見どころがたくさんありそうです。どんな歴史・文化の痕跡と出会うのか楽しみです。

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