▲街道街から西向きの小路を歩いて参道へ
これも私の勝手な推量なのですが、この神社の元来の主祭神は建御名方命すなわち諏訪明神ではないでしょうか――中山道⇒善光寺街道の経路で諏訪社信仰と神社勧請が広まった?。というのは、拝殿と本殿を囲繞の形状が諏訪社を彷彿させるからです。
大和王権系の父子神である伊弉冉尊、軻遇突智命は江戸後期ないし明治期に付け加えられたように思えます。
日本の神社は、境内に八百万の神を祀ってにぎやかにうる傾向がありますが、この神社もしかりです。説明板によれば、境内社として神明宮(天照皇太神)、琴平社(崇徳帝)、天神社(菅原道真)、蚕玉社、山神社が祀られています。ほかに境内には火伏せの神=秋葉社の碑もあります。
▲境内社の祠群が並ぶ
さらに説明板によると、本殿は天保年間(17830~40年代)に屋根葺き替えをおこなったこと、拝殿が安永年間(1770年代)に建立されたとあります。
神社は、松本藩による善光寺街道建設と村落移転とともにこの地に移設され、それ以前の境内のありように倣ってサワラの樹林を育ててきたのではないでしょうか。
▲横から見た本殿と脇本殿
▲裏手からの拝殿の眺め
4月中旬に探訪したのですが、桜の開花が平年よりも10日も早く、花は散りかけていました。しかし、隣の畑のシバザクラは今を盛りと咲き誇っていました。
神社は、松本藩による善光寺街道建設と村落移転とともにこの地に移設され、それ以前の境内のありように倣ってサワラの樹林を育ててきたのではないでしょうか。
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