塩尻市から松本市にかけて善光寺街道の道筋は、だいたい県道294号と重なってます。そして、この道路に沿って旧郷原宿とその近隣3キロメートルほどは、古い街並みや古民家を残す地区として、地元の人たちから「郷原街道」とも呼ばれています。
今回めぐり歩くのは、塩尻市広丘郷原の諏訪稲荷神社前から堅石集落を経て原新田の広岡小学校や塩尻短歌館辺りまで、およそ3キロメートルの区間です。郷原宿には本陣、脇本陣がありません。新たにできた小さな宿場街のためか、この街道を参覲のために通行する大名家がめったになかったせいか? 幕府の高官などがここを旅した場合、郷福寺が宿泊接待をしたのだとか。
▲郷原宿の庄屋山城屋の本棟造り古民家。道路との間にかつての前庭の名残の庭園植栽がある。
▲郷原宿下問屋の斜向かいの商家古民家(土蔵風)
旧松本藩領の街道宿場街には、町家家屋と街道とのあいだに幅2間(約3.6メートル)の前庭を置くことに定められていました。街道幅員の真ん中には宿場用水が流れていました。用水を挟んで両側1間ほどの往還が通っていて、その両傍らに幅2間の前庭が並び、その背後に宿場の町家が並ぶ、これが街道の風景でした。
ところが、明治以降――とくに昭和期――の道路拡幅にさいして、街道の両側の住民は前庭を縮小して、それぞれ1間分の土地を新道のために提供させられました。
▲塀越しに郷福寺庫裏。郷原集落はこの寺から南に伸びる。
そしてその後、それぞれの住居の前(道路側)に残された前庭を住民たちは丁寧に手入れして、まるで高級住宅街のような美しい庭園や植栽が道路沿いに続く景観を形成することになりました。
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