▲参道入り口の様子
郷原集落の北端にある桔梗山郷福寺は、創建の時期と開創時の寺号などについては不詳ですが、古くは桔梗ヶ原池の坊の地にあった伝えられています。
戦国時代の16世紀半ば(天文年間)には、松本攻めを敢行した武田氏の兵火で多くの堂宇や寺宝、記録などが焼失し、一時衰退してしてまいました。ところが1612年(慶長年間)、すなわち松本藩による北国街道西往還の建設が始まる頃、憲快法師によって再興され、寺号を郷福寺と改めて現在地に移されたようです。
その後、1821年(文政年間)には郷原宿の大火で類焼し堂宇や文書類が焼失してしまい、1823年に庫裏、1854年に本堂を再建し、それから段階を経て薬師堂や総門などが建立されました。
現在の本堂はその再建当時のもので、寄棟、平入り(棟入り)、横幅桁行8間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げになっているとか。
▲参道脇に並ぶ庚申塚や三十三夜碑など
▲弁財天堂
参道脇や境内には多様な堂宇や石碑、石像が置かれています。
参道入り口付近には、この宿で3つある古井戸のひとつがあって、木製の蓋屋が設えてあります。
また、参道脇には端正な薬師堂があります。現生利益を掲げる真言宗にいかにも似つかわしいお堂で、この寺院は古くから近隣住民に医療サーヴィスを施してきた事績の名残りだと思われます。このほか、弁財天堂や不動明王堂も本堂への道筋に並んでいます。
▲不動明王像は不動明王堂の前にある
▲不動明王堂の棟側の様子
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