小布施は小さな《庭園都市》である。
この町の人びとは、町域全体をそっくり庭園に見立てて、街並みや店舗、住宅、観光施設などを大きな庭園や田園、里山に組み込んでいこうとしているのではないだろうか。
それが、観光と街づくりのコンセプトになっているようだ。
そうとしか思えない。
町全体の景観を、「見て美しく、心の癒しとなる庭園の風景」に仕立てていこうとしている。
街づくりを巧みな《ガーデニング》の方法で進めている。
タウンウォッチングがこれほど興味深く楽しくできる街は、そう多くない。
蔵の壁と並木が美しい(高井鴻山記念館の南側の通り)
地図で見ておおざっぱに言うと、小布施町は、南を松川で仕切られ、東を雁田山の峰と尾根で区切られ、北を篠井川で境界づけられ、西を千曲川の河川敷で囲まれた町だ。
町の西側を高速道路と国道18号線が走り、町の中央を国道403号線と長野電鉄線が縦断する。交通の便がいたって良好な場所にある。
近年の市町村合併ブームの結果、小布施町は長野県で最も面積の小さい自治体になってしまったとか。
けれども、観光や情報発信の影響力とかで見ると、長野県でもトップの位置にいるのは間違いないだろう。
そして、集客力の大きさでも相当上位にいるようだ。
とはいえ、やってくる観光客一人ひとりは、それほど大きなお金を消費するわけでもない。
というのも、この町と住民は、観光客に大きなお金を落としていってほしいと思っているわけではないからだ。
たぶん、成功している観光地は、どこもそうだろう。
で、店舗も寺院も企業も、概して大きなメディアを集客や広報に利用しない。
手に余るほど過剰な集客をしないで、きっちり自分たちの「あるべき姿」「本分(本業)を守る」という姿勢だ。
その結果、個性のある街の雰囲気や景観ができ上がって、つねに街の活気を呼ぶほどに観光客が訪れることになる。
そして、商売の手法はいたって控えめである。
自分だけの目先の利益を求めない。料簡が広い。
六斎市の日のにぎわい――北斎館の前で
自分たちの「分」をわきまえている。
言い換えれば、「自分たちが何ものたろうとしているか」「自分の役割」について、かなり明確なイメージをもっているのだ。
それは、「自分たちの街がこれまで何ものだったのか」、つまり過去の歴史や伝統を明確に意識しているということだ。
そのことは、街の景観、景観づくりの努力のあり方から実感できる。
おのれの「分」を知る、言い換えれば、町の歴史と伝統の理解の上に「自分たちはこうありたい」という強い思いや願いがあるということだ。
財政や人口も限られた小さな町が、小さな小さな変革を何十年にもわたって続けてきた。着実な変化の積み重ねの結果、今、小布施はユニークな輝きを発している。
もちろん、街づくり活動はまだ途上であり、まだまだ未完で、これからもずっと永続的な努力が続けられるはずのものだ。