姨捨を含む千曲市八幡は日本の黎明期からの歴史をもつ美しいところです。古墳時代にも多数の集落があって、奈良時代には信濃から都にいたる官道が通っていた物流の要衝です。松本から筑摩郡の山間を抜ける官道は、江戸時代に北国街道西脇往還(善光寺街道)として整備され、姨捨棚田の里の脇を通っていました。
おばすて棚田の里は、歴史の里でもあるのです。江戸時代以降、田植えの頃に棚田の水面に映る名月や仲秋の名月を眺めて俳句や和歌を詠もうとする多くの人びとが、この地を訪れるようになりました。長楽寺の周囲には、今でも数えきれないほどの歌碑や句碑が残されています。
▲仲秋収穫期の棚田から善光寺平を見おろす。画面中央に鈍く輝く水面が千曲川。
▲棚田から谷越しに長楽寺を眺める
姨捨の棚田地帯は日ごとに風景を変えていきます。小さな変化が累積して四季の様相をもたらします。棚田が連なる里山を歩きながら、背後の山岳を眺めたりながら、季節の移ろいを感じてみませんか。
姨捨の棚田地帯は千曲川を見おろす北東向き斜面で、眼下に善光寺平の風景を眺望することができます。
▲耕した棚田に高原から引いた水が張られる。その向こうに善光寺平の風景。
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