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長野県東御市本海野
谷間の河岸段丘上の街


▲大きな3つの段丘のうちの2段目のそのまた高台に位置する光前寺から海野宿方面の眺め。正面の丘の下を千曲川が流れ、そのすぐ手前
右側に海野郷がある。光前寺の境内と海野宿との高低差は20メートル近くある。

  今回は、海野宿の地理的環境を探索します。まずグーグルマップ海野宿を読み出して、「地形」表示にしてください。地形表示にするためには、地図の左上の「メニュー」にカーソルを当てて「地形」をクリックします。縮尺をある程度小さくした方が、地形の変化がわかりやすくなります。
  海野宿は東御市にあって、千曲川河畔の河岸段丘の最も下の段に位置しています。ということは、千曲川がつくり出した巨大な谷間の中ほどにあるということです。そして、街の北東には烏帽子岳と湯ノ丸高原があって、その3本の――南西に張り出している――大きな尾根に続く複合扇状地の裾にあるのです。
  この扇状地は、千曲川の浸食作用が生み出した大きな3段の段丘斜面からなっています。広大な扇状地の大半は田園地帯と樹林からなっています。海野宿は一番下の河岸段丘の上にあって、千曲川の右岸に位置しています。⇒空撮写真


▲町の北東方向の山々:左から烏帽子岳、湯ノ丸高原、高峰高原、黒斑山。黒斑山の左にわずかに浅間山山頂がのぞく(街の南側の田園から撮影)

▲町の南西(千曲川対岸)には、田園の彼方に丸子から塩田方面の峻険な稜線が見える


▲街の南の河岸段丘の下を流れる千曲川:水害の修復工事中。右端は築堤の桜並木。

▲堤防(築堤)に植えられた桜並木は紅葉が美しい(撮影:11月半ば)

  海野宿は山岳と田園に取り巻かれた美しい街ですが、2019年10月、台風19号にともなう豪雨で千曲川が増水し、支流が氾濫したために、隣接する河川敷と道路が破壊されてしまいました。
  おそらく、これほどの千曲川水位の上昇、これほどの水害は数百年間なかったものでしょう。千曲川河岸に位置するがゆえの危難ともいえます。今後、自然の河岸段丘崖の高さ(2~3メートル)では、川の増水に耐えられなくなり、堤防嵩上げ構築が必要になるかもしれません。
  もっとも、すでに宿場町の南東端の道路沿いには、高さ30~50センチメートルほどの築堤が長さ700メートにわたって施されています――千曲川が湾曲するので水流の圧力が大きいので、浸食や川波の越水を防ぐため。堤の桜並木は四季折々に美しい景観を現出してくれます。
  私たち人類は、気候変動を防ぐための手立てを急がなければなりませんね。

■連なる河岸段丘と田園■


▲抉られ流失した河川敷の復元工事


◆田園に囲まれた河畔の街◆

  最初のページ『北国街道海野宿を歩く』の御蔵小路を北に歩いてみましょう。
  小路を抜けると、すぐに家並みは途切れて畑作田園地帯に出ます。東御市の名特産物のクルミを栽培する畑があちらこちらに散在しています。市町村単位では、東御市は日本一の量と額のクルミを生産しています。体内の脂肪のなかから「悪玉脂肪酸」を追い出し「善玉脂肪酸」を増やすクルミは、最近、大変な人気です。


▲段丘崖(右端)の手前に敷設された鉄道線路

  その畑作地帯を東西にしなの鉄道の線路が横切り、その北に段丘があります。海野宿の街並みとの高低差は、段丘崖で少なくとも2メートルはあり、さらに北に向かって昇り斜面が1キロメートル以上続いています。その上にさらに段丘崖があって、烏帽子岳の尾根まで続く丘陵斜面となっています。
  鉄道沿いに延びる段丘上斜面には、東西に続く段丘崖に沿って耕作地が幅150メートルほどの帯状に広がっています。畑作地のなかに集落がいくつかあります。畑作地の北側には工場団地と住宅街がモザイク模様をなして広がっています。

  右掲載の坂道の写真は、高低差5メートルの段丘崖をのぼる小径(農道)です。傾斜が急な斜面の擁壁や畑の段差を維持するために、石垣が組まれています。   この段丘崖の上には、中世の豪族、海野氏の城館があったと推定されています。してみれば、千曲川の段丘崖は、海野氏の砦の土塁ともなっていたということです。土塁の下に城下町、海野郷の集落が形成されたというわけです。
  とはいえ、その時代には石垣構築の技術は、この辺りにはなかったと思われます。石垣で住宅敷地や畑作地の縁辺を補強するようになったのは、戦国末から江戸時代半ばにかけてだったそうです。

  さて、段丘崖をのぼる小径の脇、クルミ畑の隅には、石造りの双体道祖神が立っています。耕地整理や区画整理――海野宿内の道路拡幅にともなって――のさいにここに移設されたのかもしれません。道端で多くの人びとに参拝してもらえるように。


▲広大な白菜畑

  ところで、東御市は軽井沢や小諸に続く高原の丘陵にあるので、当然のことながら有力な高原野菜の生産地です。段丘上の耕作地には白菜やレタス、蔬菜などが栽培されています。
  もう11月半ば、晩秋なので、初冬に向かって白菜や大根などが成長の盛りを迎えていました。高度が低くなった陽射しを浴びて、野菜の葉に着いた朝露が輝いています。

◆海野宿の南側の風景◆

  海野宿の南側には、千曲川河畔まで田園地帯が広がっています。烏帽子岳・湯ノ丸高原から流れ下る豊富な水は、千曲川に合流する直前に広大な水田・畑作地を潤しています。


▲街道南側の家並みの南側の果樹園

▲街道南側の古民家風の新しい住宅

▲海野宿の宿の南に広がる田園

▲千曲川河畔の水田地帯から河岸段丘を眺める


10月の豪雨増水で国道18号からの連絡路の高架橋は破壊された



瓦葺きの小屋根の列が続く宿場街(出典:前掲『海野宿』)

晩秋、収穫を終えたばかりのクルミ畑

クルミ畑は、海野宿の街の防風林ともなっている

段丘崖の急斜面をのぼる小径

段丘崖の耕作地は石垣で支えられている

畑の脇の双体道祖神。野仏に思わず合掌・・・

段丘上の畑:白菜や高原野菜が栽培されている。左端に鉄道が走っている。

野菜畑の南側の段丘の下を鉄道が走り、その南に街並みがある

段丘崖の樹林のなかをのぼる小径

北国街道の北を往く小径は、古代の東山道の遺構に築いたもの

立科町の権現山運動公園からの東御市方面の展望(真北方向):千曲川のが削り出した大峡谷が広がる。海野郷は画面のほぼ中央、右端から延びる尾根裾の向こう側の谷間にある。背景の山岳のうち、向かって一番左の連峰が烏帽子岳、湯ノ丸山で、その右が高峰高原、一番右が浅間連峰。

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