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長野県東御市田中
  東御市海野宿の東隣に田中の街があります。江戸時代のはじめに北国街道の宿場となりましたが、近くを流れる千曲川支流が大きな氾濫を越して街が流され、宿駅の役割が海野郷に移されてしまいました。
  とはいえ、街はしだいに再建復興され、ことに明治以降は大いに発展したようです。しかし、昭和期の高度経済成長とともに古い街の面影は消え去っていきました。近年、田中駅前の通りの街並みが整備され、街歩きが楽しい場所になってきました。
  写真は、田中駅前の様子。
古い街の名残りを探る

  17世紀はじめに北国街道が発足した頃、田中と海野は2つでひとつの宿駅の役割を果たす合宿(あいのしゅく)とされていて、その主要な施設と機能は田中郷に置かれていました。海野郷は中世からの城下町でしたが、その分、既存の集落構造があって、街道の役割に合わせた改変・改造が難しかったため、新たな都市集落を建設するうえでは田中郷の方が都合がよかったのかもしれません。
  ところが、1742年の大型台風による豪雨で丘陵上方の斜面や池が崩壊して大規模な土石流が発生し、田中宿をはじめ下流の多くの集落を破壊したそうです。そのため、宿駅の役割は海野郷に移され、田中は復興後も補助的な地位を余儀なくされたようです。
  田中郷の住民たちは藩庁や幕府道中奉行への申し立て(提訴)を繰り返し、主要な宿駅の役割を海野から田中に戻すように求め、やがて本陣や問屋が置かれるようになりました。しかし、宿場街としては、海野を補完補助する地位から抜け出すことはできなかったようです。


▲旧中山道は常田南交差点から田中駅前まで道路hが拡幅され石畳の歩道が整備され、街並みも一新された。

  明治以降には田中がこの地域の文化や行政の中心として発展したと見られます。そのため、街の姿は変化し、旧北国街道宿場街としての街並み景観は保存されることもなく失われていったようです。しかし先頃、常田南交差点から田中駅前までの街路と街並みが整備され、街並み景観は一新されました。
  車道は拡幅され、その両側に石畳の美しい歩道がつくられ、開放的で歩きやすい街並みとなりました。⇒街歩き絵地図

■田中宿跡の街並み■


▲田中駅前の様子

▲旧北国街道を拡幅した道路

  上信越自動車道を東御・湯ノ丸インターで降りて、立科町・丸子方面に向かう一般道で丘陵を南に下っていく途中に常田南交差点がります。そこを右折して西に向かい、田中駅をめざします。すると、ゆったりとした車道の両側に幅広の歩道が整備された明るく開放的な街並みに出会います。
  それが田中商店街で、旧北国街道田中宿の跡にできた真新しく美しい街区景観です。街を貫く道路はもともとは北国街道でした。鉄道を利用するなら、しなの鉄道田中駅で降りてください。

  最寄りの観光名所は、古い和風の街並みが残る北国街道海野宿ですが、この現代風に整備された田中も、明るく美し街並みで、無料駐車場もいくつもあって、街歩きしたくなるところです。表通りは現代風の街並みなのですが、わたしは、ここで昔日の面影(昭和レトロ)を残す場所や「和のテイスト」を探して街歩きすることにしました。
  というのも、広い道路・歩道沿いの家並みは低いシルエットで、空が大きく広がって見えて、開放的で心が楽しくなる感じがするからです。こんな街を歩いてみたい、そういう魅力があるのです。


▲街並み風景

◆新たな街づくりの試み◆

  ひと頃には、ここには旧北国街道跡の昭和レトロの街並みがありましたが、荒廃と老朽化がひどく、街並みの再生が求められていました。その試みとして、現在の街並みが整備されたようです。
  高齢化や住民人口の減少という状況のなかで、さまざまな課題があったはずですが、ひとつの答えを提示したというわけです。高齢化が進む街での住みやすさの追求という目標が優先されたものと見られます。
  信州各地の街並み景観づくりを観察してきた者として、ここで街づくりへの希望を勝手に述べるとすれば、このゆったりした街の造りを生かすなら、樹木や植栽をもっと里山風に豊かにして、高原の街としての魅力を高めていってほしいということになります。


▲開放的な店舗間口

▲洋風のシックさを求めた店舗

⇒街あるき案内絵地図

  さて、整備された北国街道を田中駅方面まで歩いたら、北に向かう道路を歩いてみましょう。私がおススメするのは、商工会館がある通りをたどり東御市中央公民館に向かう道です。街路樹が植えられ、石畳の歩道が通りの両側に整備されていて歩きやすくなっています。
  商工会館の少し先には、田中宿本陣跡地があって、重厚な薬医門が今でも残されています。残念なことに往古の遺構はこれだけで、本陣の痕跡は見つけられませんが、門の前に佇んで、往時の街の様子を想像してみました。
  2ブロック北に行くと、カエデやケヤキなどがある小さな緑地があります。そこは里山庭園風の一角で、私が訪れた11月半ばには紅葉の盛りとなっていました。


▲緩やかな曲がり具合が好ましい道

▲旧本陣の薬医門

  さらに北にはイタリア料理とワインの専門店があって、手ごろな値段で食事が楽しめるのだとか。
  その北側国道18号との交差点で、その先には市役所や高校、図書館など市の施設が隣接し合っていて、いわば東御市の中心部をなしています。


▲この先にイタリア料理店がある

◆レトロな景観を探して◆

  ところで、古い街並みの面影を探して歩くならば、田中公民館脇を東西に貫く小路を往くのがおススメです。昭和期の古い造りの建物がいくつも残っていて、何やら懐かしさを感じる場所です。


▲歯科医院の建物は昭和レトロ

  歯科医院の昭和レトロな造りの家屋を過ぎて、さらに東に進むと、大きなケヤキの古木の脇に瓦葺きのお堂があって、その東側に草地が広がっています。「たなか散歩道」の絵地図によると、石の仁王様が一対立っている広場というか境内のようです。
  この地区に伝えられている説話によると、江戸時代18世紀後半に活躍した相撲界の英雄、雷電為衛門にゆかりのある仁王像なのだとか。仁王様といえば左右一対で、阿形と吽形という2体の金剛力士の像です。
  ところが、当時ここには吽形像しかなくて、雷電の母が子宝を授かるように吽形像に祈ったところ健康な男の子を授かり、その子が成長して角界で大関になると、阿形像を奉納したのだとか。

  このほかにも、狭い路地をたどって歩くと、いろいろなレトロな風景に出会うことができます。私は、屋敷神――たぶん稲荷祠――を祀った和風の庭園がある屋敷を見つけました。江戸時代には、旧北国街道沿いに間口が狭く深い奥行きの町家敷地が短冊状に並んでいて、店舗家屋の奥に中庭や奥庭があって、その一隅に小さな社祠が安置されていたのだろうと想像しました。


▲屋敷神が置かれた和風庭園


幅広の歩道とゆったりした車線、そして低い建物。空が広くて快適。

ゆったりとした街並みは開放的で明るい

街路樹が育っていけば美しい並木道になるだろう

洒落た意匠のパン屋店舗家屋は魅力的

和風テイストの住宅は街並みに落ち着きを与える

白漆喰の長屋風土塀と家屋が重厚さを伝えてくる

広い敷地間口の奥行き感を醸す設計

街路樹と植栽が里山風の落ち着きをもたらす

大きな瓦屋根の店舗が印象的

和洋折衷の寄棟建物:来歴の説明がないのが惜しい。

街歩きが楽しくなる並木道(商工会館横)

田中宿本陣跡に立つ薬医門

里山庭園風の道路脇緑地。晩秋の風情が美しい。

落葉散り敷く石畳

大ケヤキの傍らに石造りの仁王像が並ぶお堂

建物は仁王尊堂なのだろうか

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