▲田中駅前の様子
▲旧北国街道を拡幅した道路
上信越自動車道を東御・湯ノ丸インターで降りて、立科町・丸子方面に向かう一般道で丘陵を南に下っていく途中に常田南交差点がります。そこを右折して西に向かい、田中駅をめざします。すると、ゆったりとした車道の両側に幅広の歩道が整備された明るく開放的な街並みに出会います。
それが田中商店街で、旧北国街道田中宿の跡にできた真新しく美しい街区景観です。街を貫く道路はもともとは北国街道でした。鉄道を利用するなら、しなの鉄道田中駅で降りてください。
最寄りの観光名所は、古い和風の街並みが残る北国街道海野宿ですが、この現代風に整備された田中も、明るく美し街並みで、無料駐車場もいくつもあって、街歩きしたくなるところです。表通りは現代風の街並みなのですが、わたしは、ここで昔日の面影(昭和レトロ)を残す場所や「和のテイスト」を探して街歩きすることにしました。
というのも、広い道路・歩道沿いの家並みは低いシルエットで、空が大きく広がって見えて、開放的で心が楽しくなる感じがするからです。こんな街を歩いてみたい、そういう魅力があるのです。
▲街並み風景
◆新たな街づくりの試み◆
ひと頃には、ここには旧北国街道跡の昭和レトロの街並みがありましたが、荒廃と老朽化がひどく、街並みの再生が求められていました。その試みとして、現在の街並みが整備されたようです。
高齢化や住民人口の減少という状況のなかで、さまざまな課題があったはずですが、ひとつの答えを提示したというわけです。高齢化が進む街での住みやすさの追求という目標が優先されたものと見られます。
信州各地の街並み景観づくりを観察してきた者として、ここで街づくりへの希望を勝手に述べるとすれば、このゆったりした街の造りを生かすなら、樹木や植栽をもっと里山風に豊かにして、高原の街としての魅力を高めていってほしいということになります。
▲開放的な店舗間口
▲洋風のシックさを求めた店舗
⇒街あるき案内絵地図
さて、整備された北国街道を田中駅方面まで歩いたら、北に向かう道路を歩いてみましょう。私がおススメするのは、商工会館がある通りをたどり東御市中央公民館に向かう道です。街路樹が植えられ、石畳の歩道が通りの両側に整備されていて歩きやすくなっています。
商工会館の少し先には、田中宿本陣跡地があって、重厚な薬医門が今でも残されています。残念なことに往古の遺構はこれだけで、本陣の痕跡は見つけられませんが、門の前に佇んで、往時の街の様子を想像してみました。
2ブロック北に行くと、カエデやケヤキなどがある小さな緑地があります。そこは里山庭園風の一角で、私が訪れた11月半ばには紅葉の盛りとなっていました。
▲緩やかな曲がり具合が好ましい道
▲旧本陣の薬医門
さらに北にはイタリア料理とワインの専門店があって、手ごろな値段で食事が楽しめるのだとか。
その北側国道18号との交差点で、その先には市役所や高校、図書館など市の施設が隣接し合っていて、いわば東御市の中心部をなしています。
▲この先にイタリア料理店がある
◆レトロな景観を探して◆
ところで、古い街並みの面影を探して歩くならば、田中公民館脇を東西に貫く小路を往くのがおススメです。昭和期の古い造りの建物がいくつも残っていて、何やら懐かしさを感じる場所です。
▲歯科医院の建物は昭和レトロ
歯科医院の昭和レトロな造りの家屋を過ぎて、さらに東に進むと、大きなケヤキの古木の脇に瓦葺きのお堂があって、その東側に草地が広がっています。「たなか散歩道」の絵地図によると、石の仁王様が一対立っている広場というか境内のようです。
この地区に伝えられている説話によると、江戸時代18世紀後半に活躍した相撲界の英雄、雷電為衛門にゆかりのある仁王像なのだとか。仁王様といえば左右一対で、阿形と吽形という2体の金剛力士の像です。
ところが、当時ここには吽形像しかなくて、雷電の母が子宝を授かるように吽形像に祈ったところ健康な男の子を授かり、その子が成長して角界で大関になると、阿形像を奉納したのだとか。
このほかにも、狭い路地をたどって歩くと、いろいろなレトロな風景に出会うことができます。私は、屋敷神――たぶん稲荷祠――を祀った和風の庭園がある屋敷を見つけました。江戸時代には、旧北国街道沿いに間口が狭く深い奥行きの町家敷地が短冊状に並んでいて、店舗家屋の奥に中庭や奥庭があって、その一隅に小さな社祠が安置されていたのだろうと想像しました。
▲屋敷神が置かれた和風庭園
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