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長野県飯山市瑞穂
小菅の寺院と集落


▲菩提院:右手が本堂

  前回は、旧元隆寺の面影を探りながら、小菅集落を参道に沿って小菅神社里社の前辺りまで歩きました。それが集落の中ほどで、今回はそこから旧元隆寺大聖院跡・護摩堂までめぐってみます。
  集落中心部の里社・旧元隆寺講堂の東側には現存の寺院として菩提院と観音堂があります。
  菩提院は、元隆寺の小院坊のひとつで、小菅の里に今でもただひとつ残存する寺院で、菩提院に付属する観音堂は、かつては小菅山の中腹にあったものを現在地――菩提院の北隣――に移設したのだそうです。


▲菩提院観音堂

  菩提院からさらに勾配がきつくなる坂道をのぼり、小菅神社奥社に向かう石段登り口の南側に大聖院跡地があります。ここに現在は建物としては護摩堂があるだけで、その参道正面の2対の石灯籠の東側の草地に大聖院が建っていました。
  護摩堂は1750年に再建されたものだとか。江戸時代、上杉藩が米沢に移封されたのちにも、広壮な大聖院や護摩堂、そのほかの堂宇が並んでいた景観は、さぞ壮観だったことでしょう。


▲大聖院跡 中央が護摩堂、その東側に大聖院があったという。
 右上の写真が大聖院のあった場所で、左下の写真では、石灯籠の奥の草原。

■里宮から大聖院跡まで■

◆元隆寺大聖院の歴史◆

  菩提院前に立てられた説明板によると、この寺院は、古くは元隆寺大聖院の小院坊のひとつで、桜本坊と呼ばれていたそうです。戦国期に上杉と武田の戦乱で兵火を浴びて焼失したのだとか。
  その後、武田家滅亡後の織田・豊臣期に上杉家によって再建され、やがて江戸中期に桜本坊から菩提院に改号されました。
  鎌倉時代から室町時代にかけて元隆寺の最盛期には、上の院16坊、中の院10坊、下の院11坊、合計37の院坊を有し、100の末院、6社、5堂が立ち並び、修験、山伏、僧侶が300人いたといわれています。巨大な寺院の総括をしていたのが大聖院でした。
  室町末期~戦国期には、小菅の里は元隆寺によって束ねられた城砦のようだったとも伝えられています。
  武田家の北信濃攻略にさいしては、その大勢力をもって抵抗反攻したためか、武田家によって灰燼に帰すほどに破壊されたそうです。


▲菩提院の鐘楼

▲境内から南の様子

◆菩提院から大聖院跡まで◆

  室町末期(永禄年間)の古い元隆寺絵地図(外部サイト)では、仁王門をくぐった参道は、小菅山に向かってのぼる坂道で、下から下の院、中の院、上の院という区画が並び隣接しています。つまり、小菅集落は3つの院区画に分かれていたわけです。
  中の院は、現在の里宮・講堂を中心とした区画で、その一隅に五重塔がありました。そして、現在の菩提院辺りから上の院と呼ばれる区画だったもようです。その辺りから上り坂は急になります。
  往時は元隆寺(小菅集落)全体が山林に取り巻かれていたのでしょう。現在は、集落と深い山林との境界に大聖院跡があります。そこは尾根に沿った高台になっていて、西端の段差を石垣で支えています。現在の石垣は幕末期に構築し直したもののようです。
  その石垣下が南北に通る杉並木となっています。石垣壇上の護摩堂を見上げながら、杉並木の道を50メートルほど南に歩いてから、石段をのぼって大聖院跡地の草原に入ることになります。


▲観音堂の周りの墓苑には石仏の列

▲石塔の列

  大聖院跡の北端が、小菅神社奥社への石段参道の起点となっています。この参道については、小菅神社を探訪する記事で説明することにします。


杉並木から石垣壇上の護摩堂を見上げる

▲護摩堂東脇からの大聖院跡の眺め


里社前から西方の眺め

同じく東方の眺め。菩提院から先の道の坂は急勾配だ。

道からの菩提院の眺め

菩提院の本堂

集落の東端部の眺め

菩提院の奥(北側)にある観音堂

苔に覆われた観音堂の庭園

大聖院跡の西脇を往く杉並木

神社皆川の茅葺古民家

護摩堂:18世紀なかばの建立だとか。

護摩堂裏手の池:沢水を引いてある。

小菅神社奥社参道からの出入り口


▲美妙寺の庫裏と鐘楼

▲美妙寺の本堂

  写真は、大関橋の西の袂にある美妙寺。

  現在は浄土真宗本願寺派のこぢんまりした寺院ですが、住職御母堂によれば、往時は小菅山源流時の末寺ないし末院だったということです。千曲川の西岸にも傘下の寺院があったのです。

  元隆寺は、江戸時代までは飯山では相当に有力な寺院だったので、上記のように末院が100もあったそうです。明治維新で元隆寺そのものが消滅してしまったので、末院の多くは廃されるか、あるいはほかの宗派の寺院として生き残ったのでしょう。

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