◆古い由緒◆
私は夏7月と冬12月の2度、松尾神社に写真撮影に訪れました。掲載した写真は、夏と冬の対照的な様子を描いた画像になっています。
松尾神社の祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)です。境内にはそのほかに、愛宕神社、皇大神宮、田神社、山神社など数多くの神々が祀られています。主拝殿脇の横長の覆殿には、少なくとも7つの祠が配されています。境内に祠はさらに10以上はありそうです。
▲神社の前を流れる五十鈴川
▲橋を渡ると境内
この神社は、京都の松尾大社の祭神を分霊勧請して祀ったものだとか。そのときの神社の神官、秦宿祢の家門は、松尾大社の神主秦家から分かれたものだといわれています。秦家は松尾神を奉斎してきました。
秦族といえば渡来人家系で、長窪から和田郷までの一帯で有力家門だった羽田家の祖先です。この一帯でも、秦族は村落建設や農耕地開拓で指導的な役割を果たしてきたということなので、古代、長窪での開拓が始まったときに、松尾大社と秦家の影響下で郷社を創建したのかもしれません。
とはいえ、この神社の創建をめぐる史料は残されていないので、いつ頃に創建されたのかは不明です。
それでも、1557年に荒廃していた社殿を再建したこと、1599年に真田信之が社領地を寄進したことが記録されているそうです。
現存の奥殿(本殿)は、1860年に第三代の立川和四郎富重の手になるものだそうです。
ところで、松尾神といえば、狂言謡曲のもあるとおり「酒の奉行」つまり「酒造の守り神」です。この神社も、往古から近隣の酒造業者によって厚く信仰されてきたようです。
▲山神社前から境内を見おろす
神社の秋(9月)の例祭には、京風の雅な笛と唄の囃しで雄2体、雌1体の獅子を中心とする、これまた雅な京風の三頭獅子舞いがおこなわれます。さらに、瓢箪方という道化の先導で賑やかな道行き(ねり行列)が催されるそうです。
行列の順番は、瓢箪方のあとに御榊、天狗、雄獅子、蝿追い、雌獅子、蝿追い、雄獅子、蝿追い、太鼓、太鼓持ち、口上方、拍子木、唄い手、笛、祭礼役員、氏子一同と続き、もう一人の瓢箪方が最後尾を務めるのだとか。
|