◆河岸段丘を這い上がる歴史◆
大雑把に言うと、水害を避けるため、中山道は依田川の河畔からより上の河岸段丘へと移転する――這い上がる――歴史をたどってきたのです。
江戸時代の中山道は今では完全に田園の下に埋まっていて、跡形を探すこともできません。5月の田植え時期、水田地帯全体に満々と水が張られ風景を見ると、なるほど河畔近くを通っていた中山道は水害に悩まされたはずだと納得します。
人が管理していても、春の雪解け期の依田川はこれほどの水量を運んでいるのだから、と。
横町は、昭和40(1960)年代には、それなりに繁盛した商店街をなしていましたが、その後さびれて、今は閑静な住宅街になっています。
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▲この狭い小路が中山道
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▲いい味の長屋門風の建物
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▲屋敷中庭には河岸段丘が横断している
長久保では近年、伝統的な街並み景観の保存や再生が着実に進んでいます。そのため、新しい建物でも、伝統的な様式を用いていて、古い宿場町に似つかわしい趣を示すものがあります。
さて、今では横町の街並みは一番上の河岸段丘とその下の段丘に跨っています。旧中山道は、ひとつ下側の段丘から最上段に斜めに上る形になっています。
たとえば上の写真では、通り沿いの屋敷の中庭に段丘崖が走っている状態がわかります。町屋はこの険しい斜面に合わせた配置や造りになっています。
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▲空き地となった場所。宿駅特有の間口が狭く奥行きが深い町割り(敷地)の形状がよくわかる。
横町通りの中央部には旅籠「辰野屋」(竹重家)の荘重な町屋があります。公開されている歴史的家屋のなかでは最も立派な造りのものです。
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