◆宿場町と同じ歴史の軌跡◆
観音寺の山号は「松尾山」ということは、松尾神社と何か関係があるのでしょうか。初期の松尾神社と結びついていたのでしょうか。しかし、私の知る限り、それに関して史料はないようで関係は不明です。
寺が史料の登場するのは、1449年に覚信という僧都が開基したということだけで、場所がどこだったかはわかりません。
そして、1600年、領主の真田家に請願して依田川の畔にお堂を建て、名称を松尾山福応寺としました。が、1629年の洪水で流されてしまい、3年後に現在地に移転し、観音寺と改称したそうです。
▲河畔から上る参道石段
▲山林に包まれたような本堂
ということは、依田川による水害を逃れるために長久保宿が現在地に移転したのが1631年で、それにともなって観音寺も移設されたということになります。
してみれば、この寺の前身、福応寺は古い長久保宿にあったと見るべきでしょう。
◆寺のエピソードと文物◆
この寺の第7代住持の弘慧は、高徳の僧侶で大日堂や護摩堂などを建てましたが、1710年(宝永7年)に食を断って地中に石室にこもって入寂したのだ伝えられています。
現在、境内には3つの小さなお堂がありますが、それらが弘慧が造営したお堂が起源なのでしょうか。
境内の小堂の脇に宝篋印塔があって、そのなかに1710年(宝永7年)の銘を刻んだものがありますが、それは弘慧の遺徳を偲び菩提を弔うものなのでしょうか。
また、本堂の須弥壇奥には木造の地蔵菩薩立像があって、それは本山の智績院から贈られたものだとか。地蔵菩薩像は、平安後期に真言宗中興の祖とされる興興大師の姿になぞらえた千体仏のひとつだとも言われています。
▲境内の様子
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