◆宿場を見おろす高台の寺◆
長久保の街から長安寺に行く道は3つあります。横町上町の「辰野屋」脇から始まる参道、横町南端の入り口からの脇道、そして竪町中町の真ん中を横断する小径です。
最後の小径は、五十鈴川河畔の観音寺の前から来る道です。観音寺と長安寺は、南北の山裾から宿場町を見守るような配置になっています。
▲境内中央にある鐘楼
▲本堂前から薬医門(山門)を振り返る
長安寺は、武石村の曹洞宗信広寺の末寺です。信広寺で順朔の弟子だった大岫が1618年に開山し、当初は依田川の畔の弥陀堂に禅堂場を建て宮昌庵と名づけました。
寛永年間の1627年、小諸藩主(松平憲良)によって、境内に徳川家康の生母と於大の方の菩提供養のために久松院が建立されましたが、2年後に洪水で宿場もろともに流出したため、その翌年に現在地に移設して寺名を久松山長安寺に改めたとか。
宿場町とともに長安寺もここに移転してきたわけです。
◆堂宇と文物◆
現存の本堂は、1881年に再建されたもので、近年、屋根を銅板に葺き替えたということです。じつに大きな建物で、禅堂場を兼ねているのでしょうか。
ところで境内の北側には小さな経蔵がありますが、これは寛政年間(1796年)に建立されたもので、内部は狩野派の手になる絵が描かれた格天井になっています。そして輪蔵が納められています。
輪蔵とは、八角形の回転式の書棚のことで、そこには600巻の大般若経が納められているそうです。
漆塗りの輪蔵の前に座ったまま書棚を回して閲読したい経本を選ぶことができるのですが、回すことで全巻を読むのと同じ功徳が得られるのだとか。
▲経蔵 なかには輪蔵がある
▲堂々とした本堂
長安寺では、毎年8月に大施餓鬼会が昔からの作法によっておこなわれているそうです。この行事は、祖霊を含むあらゆる霊に供物を捧げることで、釈尊の功徳を得て苦悩から救われることを願う法会です。
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