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長野県上伊那郡辰野町〜塩尻市
 
 
隣接する兄弟神社


▲矢彦神社の拝殿:左右に脇拝殿が並ぶ。小野神社とは少し造りが異なる。

  矢彦神社は小野神社と同格の兄弟神社といえます。信濃の国二ノ宮で、主祭神は大己貴命おおむなちのみこと事代主命ことしろぬしのみことということなので、大己貴命と子息のうちの兄神を祀ってあるのです。
  創始起源は小野神社と共通です。諏訪に居座る洩矢神もりやかみに対峙する準備をするため、上記の三神が小野村にとどまったさいに居所を彌彦古澤に定めたことにちなんで、この神社の名前が矢彦となったようです。


参道正面に配された重厚な神楽殿▲

  伝説では、日本武尊が東征のさいにここに立ち寄り、大和王権(皇室)の崇敬を受けて勅使がたびたび派遣されたのだとか。王権は東国への権威の拡張のためにここを重要な拠点と見なしていたのでしょう。
  天武天皇の治世には奉幣使が遣わされ、勅使殿が創建し、このとき6年おきに新宮を造営しての正遷宮と御柱を祭る式年祭が定式化されたそうです。
  ところで、拝殿の奥に並ぶ本殿はにぎやかなことに――正殿、副殿、南殿、北殿、明治宮と――5つもあります。正殿には大己貴命と事代主命、副殿には建御名方命と八坂賣命、南殿には天香語山命と熟穂屋姫命、北殿には神倭磐余彦命と誉田分命、明治宮には明治天皇が祀られているそうです。諏訪社系でありながら大和王権との強い結びつきからか、矢彦神社側の鳥居は、朱大鳥居が諏訪明神社風、国道153号を跨ぐ大鳥居と中大出口の鳥居が神明社風というように折衷様式になっています。

■伝承記録に見る神社の歴史■


▲中大出側の鳥居(神明社風)

  小野神社の縁起と創建後の歴史をめぐる文物については、度重なる災禍によって失われたそうですが、弥彦神社については史料が残されているそうです。その伝承記録から神社の歴史について神話時代も含めて見てみましょう。ほぼ同じことが小野神社にも当てはまると思います。
  1500年ほど昔、欽明帝の時代、大己貴命と事代主命を正殿に、建御名方命と八坂賣命を副殿に祀ってこの両殿を須賀の宮と称し、そして天香語山命と熟穂屋姫命を南殿に祀って、これらの総体を矢彦神社となしたのだとか。これが草創の伝承です。


▲南から見た神楽殿

▲神楽殿の奥の様子。格子戸越しに勅使殿が見える。

  やがて、7世紀末の天武帝の頃、大和王権から奉幣使(勅使)が遣わされて正遷宮祭=御柱祭という式年祭の形が整ったのだとか。このとき勅使殿が創建されだそうです。
  9世紀はじめの桓武帝の頃、征夷大将軍坂上田村麻呂が安曇群の凶賊追討のために矢彦神社に祈願し、このときに別当寺神光寺を開基したそうです。しかし、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈運動で寺は廃されてしまいました(寺宝仏像は祭林寺に移設)。


▲本殿群のなかに右端のひとつだけが神明社造り(ほかは明神社造り)。これが明治宮だろう。

  888年の大地震でほとんどの社殿が壊滅して神社は衰微。そのため、延喜式の選定に漏れてしまったそうです。
  さて11世紀からは、源氏の武将たちが帰依し祈願の場となりましたが、ことに木曾義仲が平氏追討の挙兵にさいしてこの神社に祈願し、そのさいに木曾山林の木材を切り出して社殿を造営したのだとか。
  しかし、鎌倉・室町期にはまたもや神社は衰微したところに、武将領主たちによって神領を分割・簒奪されていったようです。ところが14世紀半ば、筑摩郡を治める小笠原信濃守が神社の復興に尽力し社殿を復元修復しました。
  その後、戦国期には武田信玄が神社を厚く保護し、神領の回復と社殿の修築に務め、さらに江戸期に入ると幕府や松本藩、高遠藩から手厚く保護され、社格も回復してきたのだそうです。
  明治以降は皇室から厚遇を受けるようになり、生前に明治天皇を祀る社殿を造営したのだそうです。社格も郷社を得、さらに県社に昇格しました。


国道脇に立つ矢彦神社の朱大鳥居(明神社風)

中大出口の鳥居脇の社務所

拝殿脇から神楽殿を眺める

北側からの神楽殿の様子

神楽殿と拝殿の間にある勅使殿
拝殿正面

左右の結構は片拝殿ではなく、回廊と呼ばれる

拝殿奥の本殿、副殿、南殿、北殿、明治宮
鬱蒼たる樹林に囲まれた池

池の中ほどには中島があって、小祠が立つ

神楽殿脇から境内を見渡す


弥彦神社本殿群脇から南面して社叢を望む。樹林の向こうに大出地区の集落がある。

 
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