▲サワラやヒノキ、杉、ケヤキの混成林の下を往く参道
五十鈴山神明宮は、南小野宿の中心街からわずか250メートルほど東に離れた低い尾根高台にある神社です。したがって、上町から下町にかけての集落の鎮守神という役割があったのではないかと思われます。五十鈴山というのは、小野峠から続く稜線の西端の高台の名前かもしれません。
神明宮の南側には水田地帯が広がっていて、集落はありません。神社の境内と社殿は尾根続きの小山の中腹にあって、参道は尾根中腹の南側に設けられています。参道そのものは、サワラやヒノキ、ケヤキ、杉などの根元を往くので鬱蒼とした日影を往くことになりますが、参道がある斜面は陽当たりがすこぶる良好です。
このことは、小野の住民の心に秘めたおごそかな誇りとなっているようです。
▲境内中央にある惟神館
▲拝殿中央の破風と向拝
境内中央の山側に拝殿があって、その背後に大きな本殿の左右に小さな本殿が1つずつ並んでいます。これらの本殿は蓋殿で覆われていて、拝殿の破風と向拝と接続しています。
拝殿の向かいには茅葺(貴族屋根覆い)寄棟造の「惟神館」があります。氏子たちの集会場のようです。例祭などの行事の打ち合わせや準備のために使われるのでしょうか。
拝殿・本殿の東側には「祖霊社」という扁額が掲げられた祠というか小さな社殿があります。祖霊社とは、江戸末期から明治初期にかけて、廃仏毀釈運動のなかでそれを祀る寺院を配して代わりに建立された神社風の祠を意味するようです。
その頃、中南信の街道沿いの町村では、住民の変革運動が倒幕運動や国学派主導の廃仏毀釈運動と結びついていったので、この神明宮もそういう背景があるのかもしれません。
▲蓋殿の内部にある本殿。主殿の向こう側にも副殿が置かれている。
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