▲集落は勝弦平と呼ばれた里にある
古代の東山道のうち小野から諏訪湖畔の岡谷にいたる道筋には、勝弦の谷間を往く経路と少し南の小野峠越えの経路の2つがあったようです。
勝弦の広い谷間は勝弦平と呼ばれていて、縄文早期(7000〜8000年前)から人びとの集落があったそうです。現在ゴルフ場になっている場所では、石器類が見つかっていて、太古に狩猟場だったと言われています。
諏訪大社の創建をめぐる神話伝承では、建御名方命はしばらく勝弦に滞在し、そののちに諏訪湖畔に多くの勝弦住民を引き連れて進入したのだとか。この伝承は、かなりの規模の移住開拓や植民活動が古代におこなわれたことを物語っているのではないでしょうか。
今から1000年以上前には、勝弦一帯には馬を育てる牧場(官牧)があったようで、信濃十六牧の岡屋牧はこの地にあったとも言われています。
▲石段脇にある金毘羅権現の碑
▲拝殿奥にある本殿
▲背後の山道から見た拝殿と本殿
▲社務所脇からの拝殿を見る
さて東照宮に話題を戻しましょう。
東照宮は明治初期(1872年)に勝弦新田の村社となり、その20年後、勝弦集落の中央部の西側の現在地に移設されたそうです。
その後、1911年には拝殿が創建され、1961年には社務所が造られたのだとか。
社殿裏からは、山林のなかを山頂にのぼる細い登山道が続いています。登山道の周囲はおおむね落葉広葉樹で、道脇のところどころに御岳権現や不動明王などの石仏や石碑が並んでいます。修験の場所でもあったのでしょうか。
▲社殿の裏山(勝弦山)山頂への登山道
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