◆往時の宿場町の面影を探して◆
和田では明治以降、中山道の路面の改修がおこなわれたので、往時の地形とはずいぶん変わりました。
右の写真は、強固に護岸工事された追川の現在の様子を示しています。でも、往時、街道が谷間を川の水面近くまで下っていたことを確認できます。
街道の路面地形は相当に変化していることが、これでわかります。
▲街道東側にあるパン店跡
▲街道西側の小路の奥の眺め
◆橋場から新田まで◆
さて、橋場から北の街並みは、17世紀末から18世紀をつうじて宿場に編入されて街が形成されました。そのため、今でも下町から南よりも農村的・牧歌的な様相が見て取ることができるような気がします。
上の写真では、道に面した家屋の後ろには水田や畑が広がっていることが読み取れます。
そして、暴れ川だった追川がこの辺りにきわめて起伏に富んだ扇状地斜面をつくり出したこともわかります。そこに人びとは集落を形成し道をつくり、宿場を形成したのです。
私には橋場と新田の境目がわかりません。八幡神社までが新田で、神社で前で大きく曲がります。その先から原になることは、何となくわかります。
◆道沿いの庭園を楽しむ◆
消防分団や菩薩寺参道の辺りから、家並みはまばらになって道沿いの風景は田園調というか農村風になります。
ここからは街道の微妙な曲がり具合を確かめながら、街道沿いの家々の庭園を楽しむことができます。というのも、どの家も前庭の植栽がみごとで入念に手入れしてあるからです。
訪れた季節ごとに和風庭園の美しさを眺めて歩きましょう。
南から進むと、菩薩寺参道の入り口の辺りから新田、原を経て狐坂まで長い下り坂が続きます。逆に言えば、狐坂からずっと上り坂が続いているわけです。
その緩やかな傾斜と街道の緩やかな曲がり具合が街歩きに独特の面白さを加えてくれます。家並みと庭園の木々が奥の方に向かって道なりに小さくなって、快い奥行き感というか距離感をもたらします。
そして、「あの道に曲がった先にはどんな景色があるのだろう」と興味をかき立て、疲れることなく歩き続けることができます。
▲伝統的な妻入本棟造りの家屋
▲丹念に手入れされた庭園
この辺りでは、明治以降に建てられた家屋でも、二階の床を支える桁が一階よりも外に出ている出桁造りに倣っています。ただし、街道に面した間口が広いので、奥行きは浅くなっています。
そこで、昭和30年代ごろまでに建てられた家屋を街道を歩きながら眺めると、往時の街道沿いの家並み景観を想像する手がかりになります。
▲左手に八幡神社の社殿が見える
▲並木の先で街道は大きく曲がっている
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