◆中町は心惹かれる場所◆
▲古びた薬医門の前が中町と上町との境界
▲本亭の脇の薬医門も朽ちかけていた(2014年)
上町から北に歩くと、街道の西側(右側)に薬医門が隣り合って並んでいるところがあります。一方は修復された新しい薬医門で、もう片方は苔生す瓦屋根の古びた薬医門で、それらのあいだに「上町」という標識立札があります。
つまり、立札から北側が中町ということになります。私は、街区の境界線を挟んで並んでいる2つの門の風情に強く心を惹かれています。というのも、薬医門というのは格式高い門様式で、この門の奥にかつては由緒ある家があったということを意味するからです。
さて、中町側の薬医門の北傍らに、潜り戸に出桁造りの町屋があります。中山道では、これは旅籠あるいは有力な商家の町屋だったこと(裕福さや格式)を意味します。
ここは、近年まで「本亭」という旅館でした。屋号は「なが井」で、その昔、和田郷の庄屋を務めていたとか。長井一族は本陣、問屋、名主を担った最有力の家門です。
その北隣は、「米屋鐵五郎本舗」。店舗の前にある大きな木製の常夜灯が目を引きます。
ここは、「和田宿のあしたを考える会」が設立した、和田宿の歴史・文化財の発掘や観光振興、情報発信のための拠点店舗です。伝統工芸品の展示と販売、ワークショップ、住民と観光客との交流場所として活用されています。くつろぎの喫茶と軽食を楽しめます。
◆脇本陣(翠川)と石合◆
▲俯瞰した中町の景観。手前が脇本陣、奥の赤い屋根が本亭跡、その隣が米屋本舗。
さて、通りの反対側(東側)には、お手洗いやバス停待合所の奥に、これまた立派な薬医門を備えた町屋家屋があります。
これは、脇本陣翠川家の本殿を再建したものです。幕末の火災で本陣は焼失しましたが、その直後に皇女和宮の降嫁下向のために備えて建てられた本殿遺構を復元したものだとか。
そこから本陣に向かうと、四つ辻に面している立派な町屋があります。これは旅籠「石合」の修復された遺構です。石合は、その昔、和田宿の年寄役だった有力な旅籠屋です。
年寄とは、交通運輸システムとしての宿駅業務について本陣・問屋を補佐する宿場の役職です。富裕な有力家門が務めました。☞参考記事
*私には、石合が地籍上、中町にあるのかは不分明ですが、編集の都合上、中町に含めました。
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