◆原地区から狐坂まで◆
私にはここいらの地籍がわかりませんが、聞いたところでは、八幡神社を過ぎた辺りから狐坂辺りまでが原と呼ばれているようです。
そして、神社前から和田中学校にいたるまでの街道脇には、いくつか古い造りの家屋(古民家)が残されています。しかし、その多くは無住になっているように見えます。
宿場中心部の町屋の復元も大切ですが、そういう建物は伝統的な景観に不可欠の要素ですから、せひとも荒廃を防いで保存してもらいたいものです。
▲小ぶりな妻入本棟造りの家屋
▲出桁造りで落ち着いた造りの民家
◆信州の山里を感じさせる風景◆
和田郷は標高800メートルほどの高原にあります。降雪や結氷など、寒さの厳しい信州の山里に特有の造りの茅葺民家もあります。その民家の前には街道に面して、何やら格式の高そうな――長屋門と薬医門を折衷したような――門があって、この門と古民家との組み合わせは、文化財としての価値がありそうです。
和田という土地の風土と歴史・文化を雄弁に物語る景観をなしています。私には無住のように見えます。これもずっと保存してほしい建物です。
▲和田が山里だと気づかせるような古民家
ところで、原地区は標高1200メートルを超える余里峠から依田川に下る――南向きで日当たりの良い――急斜面に位置しています。中山道はこの斜面の等高線と並行して通じています。
だから、街道の左右で高さがかなり異なることになります。つまり、街道の西側の方が東側よりも高くなっています。
そこで、街道西側の家の地面と街道路面とのあいだに段差が生じるので、石垣で段差を補強することになります。
そんな風景をたどって小学校を過ぎると、まもなく狐坂にいたります。狐坂という名前の謂われは、見晴らしの良いこの坂に和田大井家の監視場があって、不寝見(夜警)する監視兵を「きつね」と呼んだことからだそうです。
そんな歴史を想うと、今では路面斜度がならされて平滑な道路となっているこの坂は、往時はもっと傾斜がきつかったのではないかと想像しました。
|