◆古い城下町の中心部◆
16世紀(戦国末期)までは、下町から釈迦堂にかけての一帯に、中世以来和田郷を治めていた大井和田氏の城下町がありました。今、信定寺の境内となっているところが、その城下町の中心部で、この辺りに大井氏の居館があったと言われています。
信定寺の裏手には古峰山が迫り、その長い尾根上に大井氏の砦群が連なっていました。
◆印象的な鐘楼◆
▲楼門風の鐘楼
▲いかつい大梵鐘
私がこの寺を最初に訪れたときに最も感銘を受けたのは鐘楼です。じつに飄逸というか軽妙な趣と禅寺らしい重厚さが取り混ぜてある造りです。
遠目から斜めに見ると、鐘楼は楼門のように見えます。ところが近づいてみると、横幅は十二脚楼門の3分の1ほどで、しかも細めの四柱で支えられた造りです。細身でむしろ華奢で繊細な趣を湛えています。
そして屋根の上には細身の鯱が載せられています。その寺紋は変形の三階菱のように見えます。これは、和田大井氏が本家である佐久大井氏の家門の菱を変形して家紋としたためでしょうか。
◆数多くの文物◆
▲雲版と魚版 : 時報などの合図に打ち鳴らす
▲本堂内部の須弥壇など
ところで、和田峠の下にある和田宿は、近畿や中国筋の大名34家が参覲で通行しました。その多くが、信定寺を訪れたと伝えられています。
その理由としては、この寺には数多くの寺宝・文物が保管されていたことがあるでしょう。
そういう寺宝としては、釈迦如来坐像(仏師藤原教栄作)、釈迦堂の鐘とされる小梵鐘、山水六曲屏風、釈迦涅槃図、中国滴谷陳晴山の書、活紋禅師の七言絶句などが主なものです。
住職によると、これらに加えて、鐘楼脇のカエデの晩秋の紅葉もまた名物のひとつだそうです。
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