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長野県北佐久郡
立科町~佐久市
 
 
創建年代は不明


▲春の陽を浴びる社殿:境内は緑地公園になっている

  茂田井集落から無量寺に向かう小径を歩くと、左手(東側)に神社の境内が見えてきます。これが諏訪神社です。境内には桜やイチョウの古木があって、のどやかな雰囲気です。


▲社殿前の鳥居:社殿は本殿の蓋殿と神楽殿を兼ねているという

  信州の農村と街の集落の多くには諏訪神社が祀られています。諏訪大社が「信濃の国一之宮」と位置づけられているからでしょうか。ことに塩尻以東の中山道の集落のほとんどに諏訪神社があるようです。
  やはり、中山道和田峠の麓、諏訪湖の畔に諏訪大社があって、下ノ諏訪宿の要となっているので、街道伝いに祭神として建御名方命を勧請分祀するのが容易だったからでしょうか。

■街中の憩いの場■


▲参道途中から大鳥居を振り返る

  諏訪神社は茂田井の街の中央部やや西よりにあって、境内は芝生が広がる緑地公園となっていて、まさに街中の憩いの場という感じです。
  参道入り口にある説明板によると、諏訪神社の創建年代は不明で、神社のことが記された一番古い記録は、天正年間(1588年)に当時の小諸藩主松平康国(芦田城主依田信蕃の子)が、蓼科神社の神官今井曽五郎にあてた書状だそうです。
  それによると、藩主家は諏訪社に神領を与えて厚く祀っていたようです。

  現在の社殿は、江戸時代末期近くの文化1年間(1818年)に茂田井の宮大工、田中圓蔵が建てたもの。蓋屋なかに収められた本殿は一間社流造で、周囲が全部見事な彫刻で飾られています。この社殿は現在は瓦葺きですが、建立当時は茅葺だったかもしれません。
  圓蔵は初代立川和四郎の弟子で、芦田の津金寺仁王門などの傑作を手がけたそうです。


▲蓋殿に収められた本殿

▲境内の様子


道路沿いの大鳥居:これが参道入り口

境内の奥に社殿が見える

社殿は拝殿、本殿の蓋殿、神楽殿を兼ねて一体化している

本殿は拝殿に覆われている

社殿脇には集落内の道祖神碑が集められている

蓋殿拝殿の内部

 
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