▲光岳寺の楼門 本堂側からの眺め 枝垂れ桜の老樹が今年も花をつけた
日本の城下町には、ほぼ例外なく寺社が集まっています。多くの寺院が密集していて「寺町」と呼ばれる街区もあります。日本には神仏習合の伝統があって、しかも江戸時代には寺が別当として神社を管理していましたから、寺には神社が付随していました。
そんなわけで、古刹・名刹めぐりは、寺院と神社を合わせてめぐる旅になります。
城下町に神社仏閣が多いのは、行政や経済の中心地で人口が集中していたからという理由ばかりではありません。戦国時代から寺院や神社は、いざ戦時となれば城と城下町を防衛するための軍事的装置としての役割を期待されていたからです。
というように寺院群の地理的な配置の意味を考えながら、小諸城に近いところから寺社めぐりを始めましょう。
▲旧街道から見上げる本堂と寺の裏手の中沢川
旧北国街道は鍋蓋城跡を迂回して4回も直角に曲がるので、いわば二重に桝形状になっている。そして、養蓮寺は石垣で街道よりも高くなっていて、その裏手には中沢川の渓谷があって、背後を固める。
小諸宿本町を通る北国街道は尾根筋の上に建設されたので、尾根の北側を流れる中沢川の渓谷とほぼ平行な位置関係にある。そして養蓮寺、実大寺、建速神社、尊立寺、応興寺、成就寺は中沢川河畔に配置されている。
戦時には寺社の境内、堂宇には大勢の兵員(伏兵)を配備できるから、これらの寺社は街道を下ってくる敵兵の側面を突き挟撃するための陣地となる。これだけ、寺社群の配列が、これほどみごとに軍事的防御ラインを構成している城下町はまれだろう。
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