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長野県小諸市
 
 
城下町小諸の寺と神社  

▲光岳寺の楼門 本堂側からの眺め 枝垂れ桜の老樹が今年も花をつけた

  日本の城下町には、ほぼ例外なく寺社が集まっています。多くの寺院が密集していて「寺町」と呼ばれる街区もあります。日本には神仏習合の伝統があって、しかも江戸時代には寺が別当として神社を管理していましたから、寺には神社が付随していました。
  そんなわけで、古刹・名刹めぐりは、寺院と神社を合わせてめぐる旅になります。
  城下町に神社仏閣が多いのは、行政や経済の中心地で人口が集中していたからという理由ばかりではありません。戦国時代から寺院や神社は、いざ戦時となれば城と城下町を防衛するための軍事的装置としての役割を期待されていたからです。
  というように寺院群の地理的な配置の意味を考えながら、小諸城に近いところから寺社めぐりを始めましょう。

■養蓮寺■

◆…中町の向こうの角には養蓮寺…◆

  この寺院は、戦国時代はじめの1493年、本願寺法主の蓮如から「養蓮寺」の寺号を授けられてこの地に開基された浄土真宗の寺です。市町の本陣問屋場の近く、山謙酒造の裏手にあります。
  寺の所在地は今では市町ですが、明治・大正の頃につくられた「小諸唱歌」には、
  「戻りて出づる中町の 向かふの角には養蓮寺 前は裏町長通り・・・」
と謡われているので、江戸期の小諸宿当時の地籍は中町だったのでしょう。

  この唱歌で「戻りて出づる中町」とは、江戸期には小諸藩の城代家老屋敷となっていた鍋蓋城跡を迂回する中町通りを意味するものでしょう。

◆…前は裏町長通り…◆


▲裏町通り 左手は養蓮寺の土塀

  養蓮寺の前(南側)は裏町通りの小路が東西に走っています。本陣問屋場から旧街道まで続く細道です。この小径から石の門柱を通って境内に入ります。
  立派な本堂や鐘楼、経堂などがありますが、建て込んだ市街地にあるせいか、今は山門などはありません。


▲本堂を守る柴犬は休憩中

◆数多くの文物◆

  養蓮寺には、江戸時代の大大関、雷電為衛門が寄進した「袂鐘」が残されているそうです。
  そのほか、唱歌によれば、この寺には土佐光起作の親鸞上人縁起図(絹製)や聖徳太子立像という貴重な文化財があったと伝えられていまが、今も保存されているのでしょうか。


石の門柱の奥は本堂

旧街道から見た鐘楼
寺境内の東隣りは現在、草地と畑になっている。けれども、往時は町屋が並んでいた。

親鸞上人、あるいは蓮如上人? の銅像

経堂、それとも噂に聞く太子堂か?

手前の建物は江戸期の商家の典型的な造り

本堂脇の六地蔵様は旧街道を見守っている


▲旧街道から見上げる本堂と寺の裏手の中沢川
  旧北国街道は鍋蓋城跡を迂回して4回も直角に曲がるので、いわば二重に桝形状になっている。そして、養蓮寺は石垣で街道よりも高くなっていて、その裏手には中沢川の渓谷があって、背後を固める。

  小諸宿本町を通る北国街道は尾根筋の上に建設されたので、尾根の北側を流れる中沢川の渓谷とほぼ平行な位置関係にある。そして養蓮寺、実大寺、建速神社、尊立寺、応興寺、成就寺は中沢川河畔に配置されている。
  戦時には寺社の境内、堂宇には大勢の兵員(伏兵)を配備できるから、これらの寺社は街道を下ってくる敵兵の側面を突き挟撃するための陣地となる。これだけ、寺社群の配列が、これほどみごとに軍事的防御ラインを構成している城下町はまれだろう。

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