荒町通り界隈は、小諸宿以来の商家の町並みの消滅が一番著しいところです。
とりわけ現在八十二銀行が位置する辺りには、りっぱな古い商家の町屋があったと聞いていますが、今では見る影もありません。残念です。
▲荒町1丁目交差点の上。この辺りは寺町。
◆残された家並みを求めて◆
しかしそれでも、町割りや道筋から過去の街並みが想像できます。そして低い家並みは、いまだに高原の美しい街の風情を保っています。空が広くて開放的で、歩くのが楽しい街です。
古い街並みの面影を求めて南東に歩いてみましょう。
▲荒町の海王院山門 この辺りから南には町屋の家並みが散見できるようになる。
「ミノヤ陶器店」と向かいの「酢久商店」の辺から南側には、江戸後期から明治、大正、昭和期にかけての懐かしい町屋店舗が並ぶ街並みの面影を見ることができるようになります。
「山吹味噌」のブランドで有名な酢久商店。江戸中期に酢や味噌、醤油の醸造販売で財をなし、食品や日常品の卸売問屋としても成功しました。関東各地から鰹節、茶、塩、畳表などを信州の店舗に卸したそうです。
小諸藩の御用商人となり、藩の財政資金も融通し名字帯刀を許され士分格の待遇を受けたという。
明治期には地場商人を率いて鉄道や製糸工場の建設に取り組んだとか。
▲酢久商店の棟門
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